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初任者と子どもの歴史をなぞる

こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。今日は家族で野球観戦に行ってきました。帰ってきてすぐに「野球しよう!」と遊びを提案してきた息子。子どもは見たものをやりたくなるものだなぁとほほえましくなりました。
今日は、初任者と子どもの歴史をなぞるというタイトルでお話しします。
(今回お話しするエピソードは、フェイクを含んでいます。)

保護者に育てていただいた13年間

今まで、保護者の方に育てていただきました。
特別支援学校や特別支援学級の担任は、一部の例外を除くと、担当する児童も少なく、保護者とたくさん話をする機会があります

  • 家庭訪問に行くと、ビールを手土産にくれようとする保護者の方。

  • カレー作ったから、食べていきますか?」と、私が単身者であることを気遣って、家族全員での食事に誘ってくれた方

  • 福祉関係のお仕事をされていて、夜中まで事務所で障害福祉について語ってくれた

など、たくさん気にかけていただいて、今の私がいます。
おかげさまで、

子どもは家庭・生活の中で生きるのであって、学校の中がすべてでは無い

ということを、人の温かさの中で学ぶことができたのです。
これは、障害の有無にかかわらず、教育を行う上で大切なことだと私は考えています。
気付かせていただいたこと、これまでかかわったすべての保護者の方にありがとうと伝えたいです。

初任者と一緒に、家庭訪問をする

昨今の働き方改革や、コロナ禍の流れもあり、難しいこともありますが、
私は初任者と組むことがあったら、可能な限り一緒に家庭訪問をすることにしています。
教員として、大切なことを伝えたいという思いからです。
もちろん無理強いはしません。初任者が来なかったら一人でも行きます。

子どもの歴史をなぞる

家庭訪問を行う際、事前に保護者の方には

お子さんの、小さいころからの写真を用意しておいてください

とお願いしておきます。
そして当日、アルバムを見ながらお話を伺っていきます。
私はひそかにこの作業を、”子どもの歴史をなぞる”と呼んでいます。

  • 生まれてすぐに別の大きな病院に運ばれた

  • NICUに入って生死をさまよっていた

  • 問題なく生活していたのに、事故により中途障害を負った子

  • 歩きや発語が遅く、ごまかしながら生活していたが、幼稚園で教育相談を受けるように言われた子

元気に走り回っている子、リーダータイプの子、優しい子、明るい子。
学校での様子とは少し異なる子どもの一面が、アルバムと保護者の方の言葉から見えてきます。
子どもは家族との歴史の中で生きてきているのです。
赤ちゃんの頃の子どもの写真を見ながら、保護者の話を聞いていると、

学校は、家族の歴史の中のほんの一部であって、全部ではないのだ

と改めて感じます。
一方で、人生の大事な一部だからこそ、大切にしなくてはいけないのです。

保護者の魂を感じてほしい

そして、話しながら感じるのは、

この子を大切に育ててきた

という、保護者の方の魂です。”自負”や”愛情”という言葉だけでは無く、上手く言葉に出来ないのですが、辛いことも嬉しいことも悲しいことも苦しいことも喜ばしいことも笑っちゃったことも泣いちゃったことも、すべて泥臭く含めたものが”魂”です。
私は、初任者に、この魂を感じてほしい。と思って家庭訪問を勧めてきました。

使命感が無きゃ続かない仕事

家庭訪問後、初任者に

「どうだった?」

と聞くと、たいてい良いとも悪いともつかない反応をされます。
でも、それでも良いなと思っています。いずれ大切さに気付けば良いし、気付かなかったら他の大切なものを自分で見付けてくれるだろうと思っています。
ただ、保護者の方の貴重な時間をいただいてまでお話を伺うのは、初任者の方に”使命感の種”を蒔けたらなと思っているからです。

保護者の方からの魂のバトンを受けて、長い子どもと家族の歴史の一部に携わっている。

こんなに重い使命は、他にあるでしょうか。
教員の仕事は、ブラックな労働環境の一つとして有名になってしまっています。確かに、労働時間が長く、辛い思いをすることもたくさんあります。
そんな時は、この使命感が後押しをしてくれています。
古臭い人間かもしれませんが、初任者の方には小手先の仕事を教えるよりも、この核を伝えたいなぁと思っています。
では、またね~!


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