2018年6月の記事一覧
想いはあれど、それに意味が宿ることなど滅多にないだろう。
想いはあれど、それに意味が宿ることなど滅多にないだろう。
想いは主観的であるが
意味は客観的である。
客観的なことを見つめることは、簡単なように見えて難しい。
皆は大抵、擬である。
人は主観にとらわれる。自らという枠から逃れることはたやすくない。
だからこそ、多様であり、
たからこそ、おもしろいのである。
バカヤローと叫べるか。
「バカヤロー」と叫べるかは、個人的には面白い指標だと思っている。
バカヤローと叫べる人は大概、コミュニケーションにおいて円滑である。
逆の人はいわゆるコミュ障だろう。
議論の展開がいささか乱暴ではあるが、僕は最近そのように感じている。
え、なんで?とか思ってしまっては、コミュニケーションに支障をきたす。
会話は概して、リズムである。いかにリズムを刻むのかが、会話だとするなら