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「文章をうまく綴れない」と頭を抱えていたいつかの君へ送る
言葉をうまく綴れない。
これが僕が長年抱えてきた悩みであり、ある程度文章を書ける(と自認する)今ですら抱えている課題である。
世の中にはいろいろの教本があって、様々なことを教えてくれたがどれも僕の助けにはならなかった。それらの本に書かれている文章には、感情が欠落している。そんな風に僕は感じていた。
そんな僕でも、昔から読む方に関しては誰にも負けないと自負していた。誰よりも本を読み、誰よりもその世界に溶け込んでいるのだと。誰よりも作者と世界の理解者であると。
それがどうやら違っていたようだと気がついたのは、つい最近のことである。感じ方に勝ち負けなどなかったのだと気がついたのは…
文章は鏡だったのだ。文章は世界を記述しているようでいて、僕らの心を記述している。それを感じる僕の心を写していた。
少しずつだけど文章を書くようになって、読み方が変わったきた。どうやって書くかを考えながら読むようになった。だから、ここはきっと固いんだろうなぁ(笑)なんて思いながら作品を読むことも増えた。
音が昔からすごく気になる。これはあまりそうじゃない人もいるみたい。「君へ送る」と「あなたへ送る」だったら断然前者。「あなたへ送る」って語感悪いなどというこだわりだ。(あまり理解されないので気にしてなかったらスルーしてね(笑))
きっと「ターゲットを決める」とか「ある程度ロジックで」とか大学時代に教わって体感したことが役に立ったに違いない。この辺の話はまた後日しようかな。
だから今、僕から言えることは
・ことばにもっと丁寧に
・文章は読者の心を映すもの
技術的に下手な文章はあるけれど、そんなことよりも、自分が魅了されるものを魅了されるままに表現したものは、ひとつ残らず美しい。
だからこそ、表現者であれ。
そんな生き方をしていたら、文章を綴るのが少しだけうまくなっていた。文章を読めば読むほど、文章を綴るのはうまくなると思ってた。
でもそれではうまくならない。経験を糧に僕らは綴るのだ。
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