今にして 老ゆる 暇なし 鰯雲
私の祖父は、千葉では有名な俳句の先生でした。水原秋櫻子に師事』とあるのを知ったのは昨日のことでした。
うちの母が、「おじいちゃんの本棚にある本、図書館に寄付しちゃうわ」というもので、待って待って!
孫として、おじいちゃんの歩んできた歴史を知りたいと、今更ながら思ったからです。
いつも部屋にこもっていて、糸と釘を使った自家製の鍵をかけていました。(後に私の部屋となる)そこで、句を書いていたそうです。部屋に篭る祖父のイメージしかなく。当時の私は、ロックとファッションばかり。祖父からは変な目で見られていたでしょう。でも大丈夫、私も祖父を、部屋に篭って何してんの?変。と思ってたから。
自社出版で2冊発行した祖父。
この『鰯雲』は昭和63年2月に発行。
表紙素材が布クロスっていうのかな?ザラザラしていて、柄はピンクと水色の虹がかかったような、私好みの可愛いデザイン。当時の私は、出版したことは知っていたけれど、中身は勿論、表紙の古風さと色合いになんて、気づく訳ありませんでした。だってロック好きな孫だったから。
ただ、私に白い目を向ける祖父も、新聞に大きく載ったとき、「じゅんこ!みてみろ!」と、和室の無駄に大きいテーブルに新聞を広げ、私にここだぞと見せてくれました。
さぞかし!嬉しかったでしょう、おじいちゃん。
毎日新聞 水原秋櫻子選特選
昨日咲き今日は疾風の黄水仙
まともに話しかけられたのは、その記憶しかありません。だって、部屋に篭る祖父、ロック好きの孫だから。私は、「わー、おじいちゃん!すごい!」すごいすごいと、翌日の学校でクラスメイトに言いふらしたことを覚えています。あぁいう時って、自分の熱量が高ければいいわけで、周りが例え、ふぅん。な態度でもよいんですね。
祖父は、小学校卒業頃に、各種新聞、雑誌の俳句欄に投句し、秋櫻子選一本の道に入ったとありました。ひとつ、ここで気になったのは、『序』を書いた堀口星眠(素敵な名前)が祖父のことを、
自分がすることのできぬ旅などを人がして句を作ったりすると、頭から否定する派もあるが...丸さんさんは全く反対で、人の楽をわが楽として見る立派な人で...
とありまして。私が、何度も何度も見返し、思いが募った理由は、私は、ここの血をもらってる??と思ったからです。私の周り、不思議と金持ちや医者家系が多く、お付き合いが長くかかる時期がありました。旅行旅行、海外旅行など、自分が行くことは勿論、子どもを連れて行ってあげれない場所、周りと比べて沢山ありました。だけど、その旅を楽しく聞いたり、羨ましがる子どもたちには、飛行機に乗って旅をする物語、『作家、お母さん』毎日のように。私の話す物語に感動して、廊下でちょこんと座りながら聞く兄弟2人が涙を流していたり。兄弟感動物語とかね。そのように、人の旅を自分たちの旅に変換していくようなところは、祖父からもらったものかもしれないと昨日感じました。だもの、家族全員が空想癖で出来上がってしまったわけだ。(元オット含め)
飛行機製作所へ就職した祖父。
句詩「かびれ」へ入会、社内で同好会を集め、
「青海苔」の「海」を取ったもの、なんて読むんですか?
(なぜか消せなくて)
と、名付けた句会を作り、月報を主催しました。また暇を見ては、新聞雑誌に投書して独善に浸っていたそうです。
やがて大戦となり、北千住で家財を焼失し家族四人、数奇な運命をたどり終戦。後遺症は安易に治らず続いていたそうです。私は祖父に後遺症があったことを知りませんでした。そんな中で、「じゅんこ!みてみろ!」の水原秋櫻子選特選。不遇にありながら俳句だけは忘れ得なかった。
最近の私もこんなことを言ってました。
どん底であっても、ある光が見えれば、可笑しく面白いものだと。
「丸君、君はそっちこっちの新聞雑誌に投書しているらしいが、あれは止めた方がいいですね」
と、先生から言われたそうです。
可笑しいし、私にそっくり?私が似たのか。
そっちこっち問題は、私の永遠のテーマなので、本当に親近感が湧きました。
嘘一つ心に俯く半夏生
この祖父の句に揺れた。
今にして老ゆる暇なし鰯雲
祖父の墓に。
今更、というものはなく。
祖父の中身を知れたことが嬉しい、
今だから、なんだろう。
おじいちゃんの本棚、図書館行きになる前に、
短歌なり句集に触れていきたいと思います。
昨晩、即興の一句、
『半夏生 そっちこっちに なつめく陽』
by母 苦し紛れな句パクり
『おとし玉 年に一度の お金持ち』
by次男
周りより幼めな小5の次男の句、
私と長男、声をあげた。
センスあるな、次男。
俳句として正確、小学生らしいのがいい。
彼に期待しようかな!
ありがとう、おじいちゃん♡
今にして 鰯雲みる 祖父の詩
※あんず=じゅんこ