過去が愚かだと思えるうちはまだいい
「過去の自分は愚かだった」と思えるならまだいい。
今過去に戻ったら、もっとこうしてうまくできるはずだ。そう思えるうちはまだいい。
「あの時は最高だった」と思うことがあるかもしれない。
しかし、今が最高でないからといって、諦めてそのままにしておくのは、あまりにも空しい。人生のロスタイムである。
今が最高でなくても、捉え方次第で価値をつけることはできる。
例えば、絶対に〇〇大学で英語の勉強をしたいと思っていた。
必死に試験勉強をして合格した。
ところがいざ入ってみると想像と違った。
挙句の果てに授業もサボり、身につけるはずだった英語の能力もまったく得ていない。
そのまま卒業を迎えた。
ああ、今の俺はなんて愚か。
大学目指して必死に勉強していたあの頃は最高だったな。
と。
このまま行ったら人生のロスタイム行きである。
しかし、ここで捉え方を変える。
…あれ?別に大学の授業じゃなくても、市販のテキストと動画で勉強できるじゃん。
ちょっと海外旅行してみたら、どのくらいの速さの英語なら聞き取れるのかすぐ分かるじゃん。
ということは、別に大学でサボってても今から全然できるじゃん。
てか、大学じゃないと学べないと思って必死に勉強していた高校時代の自分こそが愚かなんじゃね?
むしろ受験勉強に明け暮れていた夏休み、5日間休んでちょっくら海外行ってれば、もっと早く気付けたんじゃね?
と。
いかがでしょうか。
さっきまでは「勉強していた高校時代の自分=最高、結局大学で勉強しなかった今の自分=愚か」となっていましたよね。
ところが、捉え方を変えたらなんと真逆になってしまいました。
変えた後は「受験勉強しか考えていなかった高校時代の自分=愚か、学校にこだわらなくても勉強できる方法を知った今の自分=最高」となりました。
さっきまで人生のロスタイムとか言っていたのに。
もうロスタイムどころではありません。
むしろ今からキックオフとすら思えてきます。
大学卒業までの約20年が、失われた20年のように感じられてきます。
つまりこう。
「過去の自分は愚かだった」と思うことは、自己否定につながるかと思いきや。
「過去の自分は愚かだった」という思いをうまく使えば「今の自分が最高」という捉え方につなげることができるのです。
むしろ、「過去の自分は偉かった、今は愚かになってしまった」と思うのが危険なのではないかと思います。
捉え方ひとつで、人生のロスタイムなのか人生のキックオフなのか、見方が180度転換してしまいます。
ゆくゆくは、「過去の自分はその時できる一番いい行動をしてきた=最高、今の自分はそれをさらにアップデートした一番いい行動ができている=最高」となればいいですね。