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戦うのを辞めたら生きるのが楽しくなってきた(現在進行形)

人をこんなに求めているのに、心の中は一人ぼっち。
仕事もプライベートも、どれだけ身を粉にして行動しても、結局は一人だった。

『あぁ、私っていつもそう。ずっと一人ぼっちなんだ』

そう思って、半分自分の人生を『諦めた』。
大好きだったはずの仕事も、自分の容量を超えてしまい、退職せざるを得なくなった。
恋人からも別れを告げられ、近くには家族も居ない。
仲良くしていた同僚からも、冷たいLINEの返事だけ。

『期待しないでおこう』
そう、思った時に気付いた。

『あれ、私。何を諦めたかったんだっけ?』
『本当は何を求めていたんだっけ?』

・・・あ、認められたかったんだ。
本当は、『頑張ってるね』『いつもありがとう』『大好きだよ』って、言ってほしかった・・・

学校に行けなかったあの日も、本当は誰かに抱きしめてほしかった。
『大丈夫だよ』って言ってほしかった・・・

内側の本音に気付いたら、涙が溢れて止まらなかった。
それとともに、心臓のあたりがギュっと温かいもので満たされる感覚があった。

そして、自分を抱きしめた。ただ抱きしめるのはちょっと恥ずかしかったから、ぬいぐるみごと自分を抱きしめる。
強く、固く。
今まで他人に求めていた愛情や寂しさを、自分で埋めようと決心した瞬間だった。

とはいっても、そう簡単に速攻で満たされたわけではなかった。
私は何者かになりたかった。
子どもの頃から、どんな大人になれるかと夢見ていた。
日々を過ごすので精一杯で、いつの間にかそんな自分を忘れていたけれど。

転職しようと思って、求人票を見るけど余計体調が悪くなる。
何かの役に立てないかとボランティアを始めるけど、期待されているように感じてしまって、嬉しいのにしんどい。

なんでこんなに満たされないんだろう・・・

結局、人のために行動したいというのは、外側からの環境や評価に左右される。
自分のために、行動出来ていなかった。

『あ~休みてぇ~』
『ラーメンが食べたい!!』
『フリーターやけど、隣県行って買い物でもするかぁ』

こういう小さな要求を満たすようにした。
内側からの言葉。
どんどん満足していく。
誰にもわがままだと言われないし、言われる必要がないから、自分自身から出てきた言葉を再現できるように努めた。

不登校の時も、そうだったかも。
こうやって、エネルギーを蓄えていく。
楽しい、嬉しいという”快”のエネルギー。
人に合わせる必要は一切ない。

満たされていくと、やっと人と会えるようになった。
笑顔で話せるようになったことが嬉しい。

まだまだ発達途上だけど・・・

『自分の内側(浮かんできた本音)を採用する』
一緒にやってみませんか?

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