読書日記・面倒くさいがこわい
8月21日(月)
近藤康太郎さんの『百冊で耕す』を読んでから、自分の蔵書は100冊にしたい気持ちが盛り上がってしまい、本棚をながめて生涯読み続けたい本だけを本棚に残そうと試みる。何度でも読み返すであろう本だけを手元に置けばいい、と考えて本棚を整理していたら、あっという間に本棚がスカスカになり半分以下の蔵書になった。これは想定外。
読んでいたのは、さかぐちまやさんの『犬を揉む』。
さかぐちさんの愛犬・もなかちゃんの表情がとても良くてニヤニヤしながら読んでしまう。もなかちゃんの時折見せる表情やしぐさがかわいくてたまらない。そうそう犬ってこういう顔をするよね!!と微笑ましく思いながら、我が家の犬を愛でたい!!という気持ちが爆発して犬を愛でようとしたら、犬はとても迷惑そうな顔をして逃げた。相変わらず私には懐いていない。13年間もツンデレ…ではなくてツンツンだけど、そのブレない態度が素敵。
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8月22日(火)
まとまった時間を確保するのは難しいことに夏休みも終盤になってから気づいたので、スキマ時間にnoteをちょこちょこと書いて下書き保存するようになった。一つの記事を更新するのに3日や4日がかかるようになったけれど、でもnoteを書いているだけで精神的に安定しているような気がする。自分の思いを吐き出すような日記を書くことで、精神のバランスを保っている。
読んでいたのは古賀史健さんの『さみしい夜にはペンを持て』。
夏休みになって、息子とは一緒にいる時間が長いせいかケンカが絶えない私。年々言い返されることも増えてきて、こちらがイライラするであろう言葉を息子が瞬時に思いつくことが多くなり、そこに余計イライラしてしまう自分がいる。そのイライラが最高潮になると、息子が傷つく言葉を使ったり、大声で怒鳴ってしまうことが私にはある。こうすれば黙るだろうという手段を使って、黙らせようとしていた。最悪だ。
『さみしい夜にはペンを持て』を読んで、そういうときは「面倒くさい」という感情があるということを知った。
話し合うということを面倒くさがり、相手を威圧的に黙らせようとしていた自分を淡々と教えてもらったことで、自分がいかにダメなことをしていたかを思い知らされた。自分の中にある面倒くさいという感情がとてもこわい。
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8月23日(水)
母の通院日なのだけど、病院へ行く前に息子が「具合が悪い」と訴えてきて慌てる。え?何で???さっきまで元気だったけど???これが噂の熱中症とか????と、一人でパニックになっていたら息子が「トイレに行きたい」と言い出した。ここでハッと気づく。朝からずっとうんちを我慢していた息子(息子はうんちを我慢するクセがある)。これはお腹が痛くなっただけでは?と思っていたら、案の定うんちをしてスッキリした笑顔を見せる。なんだ、フン詰まりか、良かった(いや良くはないけども)。
昨日に引き続き『さみしい夜にはペンを持て』を読む。
人との会話は卓球みたいなものだという話があった。会話は、相手の球(発言)を打ち返す競技のようなもの。でもその競技の部分が強くなると、相手に勝ちたい!という思いが強くなるパターンもあるという話だった。
この「相手を言い負かしてやりたい」という気持ち、私は強く持っているんだけど、これも自分の自信のなさの一つなのかなぁと本を読みながら思った。あまりにも自分に自信がないと、とにかく何でもいいから勝たなければいけないという、焦りのようなものがある。勝つことで自分のすごさを獲得して、自分の自信につなげようとしているのかも。だいたい相手に勝とうと思ってる時点で、嫌われ者になっているのにそこに気づけない。
文章を書くことの面白さを教えてもらおうと思って手に取った本に、自分の内面をズタボロにされている。こんなに自分がダメダメなんだと教えられ、心が傷だらけになった。でも傷だらけになって良かった。ズタボロにされなければ気づけないことってあるし、このままの生き方ではダメなんだと知ることができたのは大きい。あとはどうやって生き方を変えていくか。それが一番重要なところ。