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じぶんnote(人はなぜ分類区別ジャンル分けしたがるのか)

最近常々思うことがある。なぜ、〇〇症候群とか〇〇症とか人は分類区別ジャンル分けしたがるのか。これはセカオワのHabitの歌詞にもある。あの歌、人間の痛いところをついている歌詞だと思っていて、とても好きです。

なぜ、何でも病気や精神的な問題にしたがるのか。今は何かにとってつけて精神的に問題があるように取り上げられる。生まれ育ってきた環境が違うから個性でいいのではないのか、とわたしは思う。人には得意なこと、不得意なことがある。何が出来ていたら普通で、何が出来なかったら異常なのか。これを説明出来る人は果たしてどのくらいの割合でいるのか。ぜひわたしに説明してほしい。

昨日書いた、人間関係リセット症候群がその例だ。わたしは小さな頃から人間関係リセット癖がある。携帯を持ち始めた時、インターネットに触れる機会が多くなり自分のこの衝動を調べても何も出てこなかった。それがいつの間にか人間関係リセット症候群になっていたのだ。

人間関係をリセットすることは相手が居ることだから、相手には悪いことをしているとは思う。相手は突然繋がりを切られるのだから。それはわたしも常識があるから理解できる。でもわたしからは危険信号は出していて、疎遠になりかけているのに急に繋ぎ止めようとしてくるから問題なのだ。もう危険信号を感じた時にそっとしておいてほしい。

背景にあると言われる愛着障害だとか、アダルトチルドレンだとか、確かにわたしは当てはまるかもしれない。だけど今こうやって夫の力を借りながら、愛犬に癒してもらいながら、時に友達と笑いながら生活出来ているのは普通ではないのか。うつ病と付き合いながらではあるが、わたしなりの普通の生活が送れている。病気になってしまったものの、その時々では健全に人間関係を築いてきたつもりだ。

人間誰しも、色んなことを経験することで価値観が変わる。価値観が変わると自然と関わる人も変わってくる。親しかった人とも価値観のズレが生じてきて、関わらなくなるのは必然だ
今まで関わってきた人全員とずっと仲良く居る人の方が八方美人で無理していないのか、心配になる。

それに、少ない友達を大切にしている人の方が信頼が置ける。わたしはわたしの居ないところで自分の話をされることが嫌いだ。近況を親しくない人に知られるのが嫌いだ、放っておいてほしい。

来るもの拒まず、去る者追わず。これは尊敬している先生のモットーだ。
去る者には理由がある。それは去る者本人の理由かもしれないし、去られる側の人の理由かもしれない。だけど必ず理由がある、それを理解してほしい。自分勝手だと思われるかもしれないが、去る原因は精神的ストレスなのは大きい。

プツッと人間関係を切ることが決して良いことではないことは分かっているし、それを推奨している訳でもない。
円満退職という言葉があるように、人と人との付き合いで何事も成り立っているから円満にしておくことで先々の生活で良い影響を与える。そしてそれは必ず自分に返ってくる。

何が言いたいのか分からなくなってきた。
とにかく人生において勝ち組とか、負け組とかないということが言いたい。仕事をしていた時お偉いさんになっても家族とは疎遠の人もたくさん見てきたし、平社員で周囲に恵まれている人もたくさん見てきた。自分の人生を人と比べる必要はない。
誰かと分類が違うのは人が違うからそもそも当たり前。同じ人間なのだから、誰かと区別する必要はない。あと陽キャとか陰キャとかジャンル分けもしなくていい、それは個性だ。
自分の人生を自分なりに謳歌している人が1番キラキラしていると思うし、尊敬する。

おわり。

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リン
最後までお読みいただき、ありがとうございます! あなたにとっての”心の住処”となれるよう、穏やかに頑張っていきたいと思っています。良いな〜と思って頂けましたらサポート是非よろしくお願いいたします。素敵な1日を🌿

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