おちゃかり

普段の生活の中で考えた事を言葉に残していこうと思います。 30代、男性、既婚、中東住み、好きな言葉:まず深呼吸3回

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普段の生活の中で考えた事を言葉に残していこうと思います。 30代、男性、既婚、中東住み、好きな言葉:まず深呼吸3回

最近の記事

頭の整理整頓、漠然とした不安

仕事で失敗し、他人から叱責されて、自分の不甲斐なさを自身でも責めてしまい、掴みどころのない漠然とした不安で頭がいっぱいになる時 「時間が解決してくれる」のだと、今までの経験から流石に知っている。後で思い返せば大した事ではなかったと、なんであんなに暗い気持ちに飲み込まれそうになっていたのかと、少し可笑しく感じる時が来るのだろう けれど、その時はその事で頭がいっぱいになり、そんないっぱいになった頭では他の事への対応も満足にできず、不安になりさらに失敗してしまったりする そん

    • ケイン•コスギさんに憧れた

      幼心に残るヒーローは誰だろうか 少年時代の私は他の少年達と一緒にスーパー戦隊シリーズに夢中になり、私の世代にドンピシャの時期に放映されていたシリーズは「忍者戦隊カクレンジャー」であった。そして、私はその戦隊の中でもニンジャブラックに夢中になっていた。ニンジャブラックの設定は、ジライヤの子孫でアメリカ出身で片言の日本語を喋る、そんな姿が私にとってとてもカッコいいものであった。 その当時は、ニンジャブラックを演じる俳優さんまでの知ろうと考えは及んでおらず、ただただ、ニンジャブ

      • 田舎と都会

        高校を卒業するまでは地元で暮らし、大学生の時は県内で1、2を争う町へ住み、社会人となり日本上位の人口を抱える町へ移り住んだ。地元から離れて生活しているが、機会があれば頻繁に地元へ帰省している。 私が生まれ育った地元の町は田舎である。田舎の中でも山ではなく海側の田舎地域になる。ただ、幹線道路が通っているため、外からの人の行き来があり過疎地域とはなっていない。しかし、主な産業は農業、漁業であり、第2次、3次産業の成長は今のところ見込めていない。 平成の30年間における町として

        • “普通に考えたら分かるでしょ”は無しでお願いします

          コミュニケーションが大切だと聞く機会が多くなった昨今。意思の疎通には、「発信する側」と「受信する側」が明確に区別ができ、その立場が移り変わり状況が変化していく。 では、意思の疎通が上手く出来なかった時、その問題に対する責任は「発信する側」と「受信する側」のどちらにあるのだろうか。次はどうすればそのような問題を避けられるだろうか。 今のあなたはどちら側にいるだろうか。 もし、あなたが発信する側であった時、あなたの言葉は過剰であったり、不足していたり、虚偽が含まれてはいなか

          贅沢と幸福とその先

          贅沢をする。つまり、高価な食事、高価な服飾品、高価な住居等、日々の生活の中でお金を使って生命活動に必要な最低限以上に生活を豊かに向上させる行動。生命活動が保障されているレベル以上に豊かな生活をなぜ求めていくのだろうか。 お金を使えば生活の中の様々な点を変更させることができる。ただし、誰しも無限にお金を持っているわけではないから、どこにどれだけのお金を使うかを選択してお金を使っている事になる。 仮に、今、2000万円手に入れたとしたら私は何をするだろう。高級レストランへ食事

          贅沢と幸福とその先

          頭の中の警報に耳を傾けて

          これまで社会人として仕事をしてきた中で、身につけた生き抜く術がある。 普段の仕事の中で業務に追われ、課題へ直面し、煩わしい人関係へ対応していると、次第に自分の中に精神的、肉体的な疲労が溜まっていくことが実感出来る。そのような状況がしばらく続いた時、ふと、自分の頭の中に警報が鳴っている事に気がついた。幻聴を聴いたという事ではなく、警報のような危険を知らせる感情が自分の中にムクっと発生したという感覚。その警報が何を意味しているのか、最初の頃はよくわからなかった。その後の経験から

          頭の中の警報に耳を傾けて

          医療従事者の方達への感謝

          ここ2年ほどにおいて、海外と日本を行き来の多い方達のあるあるだと思うが、感染症の検査と隔離ばかりの生活であった。飛行機に乗る前に検査、飛行機を降りたら検査、隔離施設に入ったら検査、隔離施設を出る時も検査、定期的に検査。そのような生活のおかげで長い綿棒を鼻につっこまれぐりぐりされても平気になり、唾液を検査キットへ溜めることも手間取らなくなった。14日間をホテルの一室から一歩も出なくても平気でいられるし、政府の規定が変更されて隔離期間が3日間になった時は物足りなさを感じたほどだ。

          医療従事者の方達への感謝

          思い出とこれから

          仕事として外国へ行かせてもらえる立場にいて、実際に社会人生活の7割は海外での暮らしをこれまでしてきた。これまで中東、東南アジア、アメリカでの暮らしを経験し、それを経て、今、私の心の中の思い出として強く感じることができるものは、日本にいた3割の時間の中にある。その短い期間の中で得た記憶だからこそ、際立つ日本での生活の一つ一つの思い出。肌の色も髪の色も似たり寄ったりの人たちの人混みの中を、同じような外見で一般市民の1人として歩いていると、知り合いなんて1人もいない、けれども自分が

          思い出とこれから