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頭の中の警報に耳を傾けて

これまで社会人として仕事をしてきた中で、身につけた生き抜く術がある。

普段の仕事の中で業務に追われ、課題へ直面し、煩わしい人関係へ対応していると、次第に自分の中に精神的、肉体的な疲労が溜まっていくことが実感出来る。そのような状況がしばらく続いた時、ふと、自分の頭の中に警報が鳴っている事に気がついた。幻聴を聴いたという事ではなく、警報のような危険を知らせる感情が自分の中にムクっと発生したという感覚。その警報が何を意味しているのか、最初の頃はよくわからなかった。その後の経験から、その警報は、自分が自分自身へ「今、それ以上そちらへ足を踏み入れたら大変な事になるから止まって戻れ」と伝えてくれているのだと気がついた。

有名な登山家があるインタビューにて"優秀な登山家の条件"として、「これ以上進んだら死ぬというラインを確実に感知できるセンサーを持っている事」と答えていたことを思い出した。

それ以降、私の中で鳴る警報には積極的に耳を傾けるように生活している。警報は大きい時もあれば、小さい時もある。種類も様々で、2つ3つの警報が同時に聞こえる時もある。同じ状況に陥っても警報が鳴る時もあれば鳴らずに済んでしまうこともある。ただ、警報が聞こえた場合は一度立ち止まり、気持ちと肉体のリフレッシュを試みて、警報が鳴り止む安全地帯まで移動する様にしている。その結果として警報が鳴り止めば、その後で、次の一手をどうするか考え、対策を講じ、再度、同じ道を進むのか、別の道を進むのか決めている。

この警報は最初は私自身にしか聴こえない。ただ、あまりも警報が強くなると、警報が自分の外へ溢れ出はじめ、他人にもわかる何かしらのサインが外見・言動へ現れる。そこまで来ると他人からも指摘、心配してもらえて、一度立ち止まることができるかもしれないが、初期段階で自分で早期発見出来れば、対処も容易となる。だからこそ、自分の警報には自分で耳を傾けてあげなくてはいけない。

また、警報が鳴らないからと言って、その後の結果が安全だという保証はない。警報を鳴らす機能が壊れてしまうほど追い込まれてしまう事だって起こり得る。自分の心身だけでなく、その警報発生機関も自分でチェックしてメンテナンスしてあげる必要もある。

この世界はまさに一寸先は闇であり、取り返しのつかないことは確実はすぐ近くに存在しているのだと、肝に銘じておく。ただし、登山をしなければ山頂の景色を見ることが出来ないように、危険を全て避けて生きていく事は味気ないし、幸せな生き方とは思えない。だからこそ、自分自身の中の警報に耳を傾け、危険と上手に付き合って生きていければ良いではないだろうか。

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