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Aoy うつという病理に関して

Aoy うつという病理に関して

精神疾患や病理の理解に、精神科医の泉谷閑示(いずみやかんじ)先生、児童精神科医でもう亡くなられた佐々木正美(ささきまさみ)先生の著書を参考にしています。

私は昨年の冬にうつを比較的軽度に治癒したのですが、本当はそのことを厳密にお伝えしたかったのですが、なぜか私に「うつ専門のブログを書く」という発想がなく、というのも私がうつを治したのは個人的な話であって、誰の役に立つものではない、という認識があり

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イルミネーション

イルミネーション

演劇部に入部して一ヶ月が経とうとしているが、はじめて演劇に関わる仕事をした。といっても小劇場に行ってビラをまとめて小冊子を作るという折り込み作業だったのだが、そこで出会う業界の方たちが面白かった。

アットホームな雰囲気で、みながそれぞれ思いの丈を話しながら、時には冗談を言い合いながらテーブルをぐるぐる回って折り込みしていく。様々な劇団から公演のフライヤー(ビラ)が寄せられているので、10種類くら

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[創作]影響

[創作]影響

かつて大学からの旧友だった社会人2人が再会した。

「よう、久しぶり。」

「久しぶり、元気してたか?」

「ぼちぼちやってるぜ。そっちはどうよ。」

「もうブログが軌道に乗りまくり。エンジョイ〜」

「ほう、いいな。うまくいってるんだな。」

「時代に恵まれたよ。そっちは公務員、どうよ。」

「今はまだ事務作業だから、そんなに困ることなくやってるよ。」

「ほう、でも事務も最初はむずかったんじゃ

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精神病棟

精神病棟

17歳の時、あまりに人生に迷い、惑い苦しんでいた時に精神科に入院した。

その精神科には私と同世代くらいの女の子や、少し年上の大学生、壮年の社会人、ご老人までたくさんだった。

女の子は1人、可愛らしいショートカット(ボブ?)の子で、歌を歌うのが上手で、手首にはたくさんの傷があった。

もう1人の女の子はザ女の子と言ったらいいのか、言葉当たりはきついのだけれど、その内実は乙女心を持ち合わせているよ

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友人のノイローゼを見ているので誘う気はない浄土真宗 仏教

友人のノイローゼを見ているので誘う気はない浄土真宗 仏教

鋭くて太い感性で言ったような煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)は、欲を大きくすると言っていましたが、それは空海の大欲の思想から来ています。本来の浄土真宗の煩悩即菩提はまた違った意味になります。

うつの治癒においてその人の感性を大切にする、というのはこれまで述べた通りです。その時に煩悩を消そうとする、これが俗にいうポジティブシンキング、禁欲主義です。反対に煩悩即菩提は、煩悩が喜びに変わる、ということ

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【解説】彼のつきない感謝の因は、究極的なニヒリズム。

【解説】彼のつきない感謝の因は、究極的なニヒリズム。

こんばんは。最近トマトが何故か食べたくないAoyです。トマト、嫌いじゃなかったんですが、何故か今になってあの俗に言うグチュグチュ感?グズグズ感?水々しさがうけつけません。身体が食べたくないというので、食べないようにしています。

うつ病のことを圧倒的困難・圧倒的苦渋と言っています。

希死念慮相当の悩みを抱えたことがある人には分かってもらえるかと思うのですが、

私は個人的に希死念慮は【耐えられな

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友人 山 ドライブ

友人 山 ドライブ

小学校の頃からお互いを親友と言い合った友人とドライブに行った。その友人はワーカホリックになってしまったが、その鬱を治癒してまた仕事を始めたらしい。以前自分は創作で「地元の人には興味はないわ」という作品を作ったけれど、鋭い読者の方にはあれはうつの人に向けた作品だと伝えておきたい。

友人と自分の町の数少ないカフェでお昼ご飯を食べ、最近の状況を語り合った。友人の仕事の内容や、私のブログのことなどを話し

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鋭くて太い感性

鋭くて太い感性

浄土真宗では自身が悪人だとハッキリ知らされた時、阿弥陀仏という仏の救いにあずかる、と言われる。

悪人だと知った人は、善になる。これを色々な場合に当てはめてみると、いじめというものを人は知った時いじめをしない。というのも、いじめとはいじめる側の子どもの心にベッタリと無価値感があって、そこから目を背けるために人をいじめ、比較相対的に自分が優れた存在であると思おうとする、という構造だという。

で、こ

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うつという契機

うつという契機

父はアイデンティティがまだ見つかっていない、私はそう思っていますし、それは実際にそうなのです。しかし父のアイデンティティが不足している、その内実をよくよく見ていきますと、実はこれでもかというほどアイデンティティを塗り固めている、ということが見えてくるのです。

おなじみ私の尊敬する精神科医の泉谷閑示先生は、人間を「頭」と「心」に分けて考えますが、頭は人間の欲望であり、心は大自然由来の感情(に近い)

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恥ずかしい君は美しい

恥ずかしい君は美しい

私がかねてより言っている非世代性とは、俗に言う毒親のことを示しており、その性質を理解するように努めてきた。というより、すでに理解したために自然と口が動いてきた。

世代性とは愛のことであり、愛とは相手を包み入れることそのものであり、それは"相手を相手らしくしておく"そのことである。愛とは他者が他者らしくあることを認める感情であり、この時にのみのちの世代への「価値」が生まれるということである。

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生活費、生活費なんだよ

生活費、生活費なんだよ

私が日々を生きているに従って、求めているものは何かということを考え詰めていきますと、主に二つの要素が出てきました。一つは少し怪しい言い方になりますが、「限りない青春」。もう一つは「心の平安」です。

限りない青春とは心が愉快に、軽やかに、そして青く気恥ずかしい気持ちでもって、顔が紅潮させられるような心持ちを言います。これは普通に生きてると感じない心かもしれません。一つの地獄、一つの苦難を乗り越えて

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現代の空虚 願う未来

現代の空虚 願う未来

私はこの2年間、うつ病とは別にノイローゼを経験することがありました。それはなぜか他者に怨嗟感(えんさかん)を感じるというものでした。そしてその根本性質は、「他者が自分の言うことを聞いてくれない」ということだったのです。

しかしながらよくよく考えてみれば他者とは絶望的なまでにコントロールができない存在です。ましてや私なんかの力量で、他者をコントロールすることはできない。たとえ支配下においても、暴力

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幸せ

幸せ

一つ分かったことは、みんな誰もが本当は心の底で平和を希求しているのではないか、ということでした。私の一つの記事で最も閲覧数がついたポツポツひとりごとシリーズは、シンプルに周りの社会に感謝を述べている記事だったのです。また、争いや諍いは、心の底で平和を希求しているからこそ起きているものだ、と理解しました。理解し直しました。おそらく本当はみな仲良く暮らせるなら暮らしたい。でもそれが現に叶わない環境が酷

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私は自由を求めていた

私は自由を求めていた

やはりこんこんと悩み続けていくとどうしても何かに救いを求めたくなるような心境になってきます。少しおかしな話ですが、私には大学の課題があって、それがあまりやりたくなかった。それがあまりやりたくないのに比例して、私はブログを書いたり他の物事(太鼓の達人とかラップとか)の努力をしていました。とてもおかしな話ですが、やりたくない義務を課せられていた中で、その反動として努力をしていたのです。

一つ気づいた

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