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手段が目的化していないか
ある若い人の悩みを聞いた。
老後2000万円問題が常に意識下にある。
今のうちからコツコツ貯金しないとと思って、人からの誘いもなるべく断り、貯蓄に回している。
通帳と睨めっこして残高が増えていくことだけが楽しみ。
でも時々考えてしまう。ここまでして何のために貯蓄しているのか、これで良いのかと。
かたや全く別の機会に、浪費癖に悩んでいる人の話を聞いた。
浪費せずにはいられない。
一時は心を満たしてくれる。だけどすぐに心が枯渇する。だから繰り返す。
買ったものはクローゼットで忘れ去られて。
つまりは買う瞬間だけが癒しで、いったい何のために買うのかと聞かれると答えにつまる。
この2つの悩み、一見すると真逆のことに感じる。
貯蓄と浪費。
でも、どちらも手段が目的化しているという点は同じ。
手段の目的化とは、いつの間にか手段自体が目的と化し、本来の目的を見失ってしまった状態。
2人の悩みの根底には心の問題が潜んでいると思われる。
心の隙間を埋めようと、すぐ手の届く手段を目的化して束の間の充足感を得ようとしてしまう。
このようなことは誰にでも当てはまると思う。
なんとなく手段が目的化していないだろうか。
ちいさくても確かな目的を持ち、たどり着くたび常に書き換え更新して階段を上るように段階的に目標を作ること。
人生にも都度アップデートが必要なのだ。