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教育者の集まりについて思うこと 雲の上で話すのは辞めませんか?

僕は、僕が目指す教育改革へのポリシーとして、
当事者である先生、生徒の声を、
1番小さく弱い声を拾っていきたい、
という考えを持っています。

これは以前のいくつかの記事でも一貫して言っていることです。

地上で、同じ目線で、「地べたで」支援者と被支援者ではなくフラットな関係で、と思っているのです。

その点について、教育関係者の集まりに参加する中で思うことがあります。

僕は今、教育関係者の集まりに、月に1回ほどは参加しています。

同じ団体や主催者のものだけとは限らず、
交流会や討論会、セミナー、イベントなど様々ですが、

その中で一貫して感じるのが、
先程僕がポリシーとして掲げた「地べた感」
とは対極の「雲の上感」です。

まるで雲の上で神々が下々の人間についての取り決めを行っているかのような、
そんな印象を僕は受けます。

それはお前が難しい議論に着いていけないからじゃないか。
そんなことは多分無いと思います。
ガンガン自分の意見は言う方ですから。

物事を変えよう、誰かを救おう、支えよう、なんてことを思い立つ人は、
だいたい自分は救われている人が多いです。

それは当然のことでしょう。

自分にある程度余裕が無いと人を救う、何かを変えるようなことはできませんからね。

僕だってそうです。
恵まれた環境で育ったと思いますし、
周りの人にも恵まれています。

持てる側か持たざる側かで言うと、
間違いなく持てる側でしょう。

収入で言うと完全に持たざる側ですが…。

そんな、支援者や改革者特有の属性の話はひとまず置いておくとして、

そのような立場であっても、
常に小さい声に耳を傾けることは必要不可欠だと思うのです。

最初は地べたにいる人が多いはずです。
何かを変えたいと強く思うきっかけの段階においては、
誰しも小さく弱い立場の人が苦しんでいるのを目の当たりにしているはずだからです。

しかし、そのきっかけを経て、実際に踏み出してみてからは、
同じようなことを志している人としか接しないようになり、気づけば雲の上にいる人が多いのではないでしょうか。

「そこに、愛はあるんか?」

とよくCMで聞きますが、

「そこに当事者の顔はあるんか?」

と問いたくなることがあります。

もちろん、利他と利己は繋がっていると思いますので、
あの人を救いたい、は
あの人を救う自分が欲しい
という気持ちも含んでいるはずです。

しかし、あまりにも自分の志とそれに類する仲間たちだけに、ピントを合わせ過ぎではないか、と思うことがあるのです。

政府は国民のためにあるはずなのに、
国会で自分たちのことばかり話している政治家の姿が思い浮かびます。

雲の上で話していても、実際に行っている事業やプロジェクト、取り組みの舞台は地べたです。
ですから雲の上ばかりにいると、どこかでうまくいかなくなるのは自明です。

そこで気づくことができればそれで良いと思います。

誰が読んでいるかわかりませんので敵を作る発言かもしれませんが、
どうかたまには地べたに降りてきてはいかがでしょうか。


小野トロ

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