答えのない世の中について
答えのない世の中になった。
正解のない世の中になった。
そう誰もが口を揃える。
しかし僕はこう思います。
答えは有る無しではない、と。
答えは1つじゃないから。
答えのない世の中。
それを実状に沿った言い方に直せば、
「1つの確固たる答えのようなものは無くなった世の中」
「1つの確固たる答えがあるという幻想が暴かれた世の中」
となるでしょうか。
はじめから「確固たる1つの答え」なんてものは存在しないと思うのです。
具体的に言うと「大学を出て大企業に入れば人生安泰」みたいなことでしょうか。
または「自宅で子や孫に看取られながら死ぬ」なんていうのもそれにあたるでしょうか。
バブル崩壊。
失われた30年。
東日本大震災。
某ウイルス。
これらのもっと前、高度経済成長時代にあった「終身雇用の幻想」もこれにあたるでしょう。
答えのない世の中になった、という人たちに限って、
「じゃあその以前あった答えって何なの?」
と聞いても返答に窮するのではないでしょうか。
僕の考えは一貫しています。
答えなんて、正解なんて端から無い。
そしてそれが故に正解は無限にある。
誰もが互いに「あなただったかもしれない」と自覚しながら生きていかざるを得ない。
人生の答えとしては誰もが相互に代替可能であったという怖さ、不気味さ、気味悪さまたは痛快さを抱えながら、
僕たち人間は生きている。
その事実を、以前よりも露骨に受け止めざるを得ない時代になった。
ただそれだけのことだと思うのです。
世界や社会、国や世間様が「正解」を用意してくれない時代になった。
それは確かにそうかもしれません。
しかし、それは最初から幻想だったんです。
虚構です。
だから、何も憂う必要はありません。
初めから答えなんてないんですから。
答えの「ようなもの」があっただけですから。
むしろ気が楽になりはしませんかね。
僕は楽ですよ。
SF作家の小松左京は「復活の日」のあとがきにこう記しています。
さまざまな幻想をはぎとられ、断崖の端に立つ自分の真の姿を発見することができた時、人間は結局「理知的に」ふるまうことをおぼえるだろう。
小野トロ
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