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生きづらいの前に「生きやすい」って何だろう

僕の目指すゴールは「生きづらさの無い社会の実現」です。

その実現に向けて日々模索し思考を続けているのですが、
先日ふと思ったのです。

「生きやすいってなんだ?」と。

辞書を引き続けると直面する面白い現象をご存知でしょうか。

例えば快と不快。
不快と調べれば快くない状態と出て、快と引けば不快でない状態と出る。

本当の言葉って何だ?と思わず言いたくなりますよね。

もちろん辞書に載ってる言葉全てがこうではありませんが、この不思議な現象は頻繁に見られます。

「生きづらさ」と言われれば自分が実際に現在経験しているものから連想するもよし、他者の物やメディアで言われているようなことを思い浮かべるもよし、色んなものを想像することができると思います。

しかし、じゃあ「生きやすい」とは?

先ほどの辞書的な考えでいうと「生きづらさの無い状態」になるのでしょうか。

どうもそれではしっくり来ませんが、その考え方で言うと
「平和とは何かなんて考えなくても良い状態が真の平和だ」といったような言説にも通じるものがあるかもしれません。

「#生きづらさ」なんて言葉でタグを付ければnoteで何万件もの記事がヒットするような、そんな状態が無くなればそれは「生きやすい」と言えるのでしょうか。

うーん。何だか煮え切らないですね。

生きやすい状態とはいったい何なのでしょうか。

不安ということは1つのキーワードになり得るかもしれません。

先行きの不安の無い状態。

しかし、不安の無い状態が果たして生きやすいと言えるのか。
ストレスと同じように、不安もある程度は無いと、全くのゼロだとそれはそれで害になり得るのではないかと思います。

結局結論の出ないままですが、今のところは「生きづらさ」について語るということが無くなった時やそれについて考えるということが無くなったとき、「生きづらさ」を意識することが無くなった時それが「生きやすい」状態と言えるのでは?というところでストップしておきましょうか。

この結論には納得していませんので、もうしばらく考え続けたいと思います。


小野トロ

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