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「親ガチャ」について考える

最近ネット上などで議論になっている「親ガチャ」の問題。

ソーシャルゲームの若者世代への流行、定着によって広まった「ガチャ」という言葉。

スマホゲーム上で「ガチャガチャ」を回し、
運次第で強いアイテムやキャラクターが出たり弱いそれらが当たったり、というものです。

その若者世代に定着した「ガチャ」が、
「子は親を選べない」というものと結びつき、
「親ガチャ」という言葉になった、という流れです。

この言葉に対し、賛否両論渦巻いているわけですが、
ネットニュースなどにあるような議論も踏まえて、
僕の意見を話したいと思います。

この議論に関して僕が言いたいのは主に4つ。

まずは1点目から話していきます。

1.「語感」に惑わされすぎている

この言葉についてここまで議論になっているのは、「語感」によるところもあると思っています。

キャッチー過ぎる言葉が重い内容を伴っているので、
ショッキングに受け止める人が多かったのではないでしょうか。

言葉の内容としては、「親くじ」でも「親福引き」でも何ら変わりないわけですし、
もしこの2つだったら流行ってもないしショッキングでも無いでしょう。

それに加えて、世代間の認識の差もあると思います。

スマホゲームが身近で無い大人(何歳以降など正確な年代はわかりませんが)からすれば、

「そんなヘビーな内容のことをゲームなんかの言葉で言い表すなんて不謹慎だ、けしからん」

となるかもしれませんが、
10代、20代の若者にとっては、
まさに「言い得て妙」でしょう。
「それな」と思ったことでしょう。

つまり、スマホゲームが身近でない大人からしたら「けしからん」し、
日々ゲームをやり、実際にガチャを回し続けている若者からすれば
「うまいこと言うなあ」
なのです。

趣味趣向の守備範囲が全く異なる相手に対して、
自分の守備範囲でしか理解できない例えツッコミをしたら、
大スベりするのと同じことです。

2.問題はこの言葉を使うべきか否かではない

ニュースやSNS上の議論を見ていると、
「親ガチャという言葉を使うべきか」というテーマで話が進んでいるものを目にします。

しかし、僕は「言葉を使うべきか否か」なんてどうでもいいことだと思います。

だって本人がそう思ったんだから。

思ったことは何でも口にしていいのか!
とお叱りの声が聞こえてきそうですが。

いくら誰かを不快にしようが、
親に失礼だろうが不謹慎だろうが、
マイナスな言葉が出てくる以上は、
そこには何らかの原因があることは当然のことです。

その原因、背景に目を向けるべきです。
問題は言うべき言わないべきではありません。

そういう言葉が生み出される土壌が今の日本、学校、教育、家庭の中にはある。
その事実そのものをしっかり受け止め、
それが何に由来するものなのかを話し合っていくべきと思います。

3.経済だけの話ではなく、色んな分類が可能

「親ガチャ」の議論の中で、メインストリームとなっているのは、
「経済格差」ではないでしょうか。

簡単に言ってしまうと、
金持ちの親のもとに生まれた=当たり、☆5
貧乏な家庭に生まれた=ハズレ、☆1

ということでしょう。

このことから、主な識者、論者たちは
日本の経済格差、そしてその再生産を招く社会構造に問題がある、と言っているわけです。

しかし、この親ガチャは、
そんなに簡単に二分できてしまうものなのでしょうか?

金持ち=当たり、貧乏=ハズレ
本当にこの分類だけなのか、それを考えるにあたって念頭に置いてほしいのが、
「毒親」の存在です。

考えてみてください。
「家は金持ちだけど、毒親だった」
「家は貧乏だけど、親は親身になってくれるし懸命に働いてくれる」

そんなパターンもあると思います。

お金は出すが口も出す過干渉な親だっているし、
貧乏で毒親というパターンだってあるでしょう。
組み合わせは何通りか考えられると思います。

「親ガチャ」は経済の話だけで片付く問題では無いと思います。

実際のゲームのガチャでも、
☆5でも使えないキャラはいますし、
☆3でも育ててればそこそこ強いキャラだっているはずです。

親ガチャから出てくるキャラやアイテムは、
金持ちと貧乏の2種類だけでは無いはずです。

みなさんもご自分で色んなパターン化、分類が可能なことを考えてみてください。

4.目を向けるべきは過去と未来

「親ガチャ」を今現在だけの問題として捉えると、見えてこないものがたくさんあります。

過去と未来に目を向けて考えることはとても重要だと思います。

まず、「ハズレ」と自分が認識している親は、
どんな親から生まれてどんな家庭で育ったのか。

アタリから生まれてハズレに育ったのか。
ハズレから生まれてハズレに育ったのか。
身も蓋もない表現でごめんなさい。

実際はハズレ→ハズレが多いのではないかとは思うのですが、
自分の親の親、つまりは祖父母について考えてみる、知ってみることはとても重要だと思います。

自分にとってはおばあちゃん、おじいちゃんでしか無い存在も、
親だった、いや今も親であるわけですから。

そして、未来。
このままだと、自分もハズレになるのか。
どうすればハズレと自分のまだ見ぬ子どもに思われずに済むのか。

そこを考えていくべきと思います。

しかし、ここで問題になってくるのが、
これからの日本では、中間層は子どもを作れないのでは、ということです。

簡単で乱暴な言い方をすると、
金持ちは子どもを持てて良い環境で子育てができる。
そして一方で「貧乏子沢山」で貧困層も子どもを持つ。

そうすると中間層は子どもを持てないようになる。

そんなことを論じる方もおられますし、
そんな未来が予想できる色んなデータもありますよね。

ここに関しては、僕は現時点でどうすればいいかはわかりません。

しかし、大事なのは、「今」の視点からのみ「今」を見るのではなく、

「過去」の視点からも、「未来」の視点からも、
「今」を見ていくことが必要だ、ということ。

それだけは言えます。

そして、後1つ言えることは、そもそも論です。

「そもそも」のお話です。

お金があればそれで幸せなのか。
親ガチャで当たれば幸せなのか。
幸せとは何なのか。

「そもそも偉そうに議論している人はだいたい自分は恵まれている」

これもある程度核心をついている意見だと思います。

実際僕も大当たりだと思ってます。

お世辞にも当たりとは言えない人の親も見てきました。

教育の仕事をしていると親御さんと接することもありますので色々と見えてくることもあります。

こういった「そもそも論」の数々も、議論の火種として残されていますので、

この「親ガチャ」論争の根は思ったより深いのではないでしょうか。

ゲームのガチャは、願わくば☆5が出てほしいけど、
何が出てくるかわからないから面白いですよね。
☆5確定ガチャよりも、
☆5確率10%の10連ガチャのほうが、
テンションはあがりますよね。

ですが、親となればそうはいきません。

産声を上げる寸前に、
「どんな親かなあ」なんてワクワクすることは人間には不可能です。

「何が出るかわからないからガチャは面白いんじゃないか!」

と軽口を叩けるような世の中になれば、どんなに良いでしょうか。

この「親ガチャ」論争。
皆さんはどんな意見をお持ちですか?


小野トロ










目を向けるべきは過去と未来

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