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アンダーカレント Undercurrent
「人を分かるって、どういうことですか?」
その人と一緒に過ごし、思考や行動のパターンを何度も目の当たりにしている。その蓄積があるから、ある出来事に対してその人が何を思ってどう行動するのか、ある程度その通りになる可能性の高い予測ができる。
それが、その人を分かっているということじゃないか。
私はそう思っていた。
でも、どんなに深く関わっていても、他人を全て分かるなんてことはあり得ない。
だって、
君の名前で僕を呼んで
春の柔らかい暖かさが過ぎ、もうすぐ夏かとふと気付くとき、必ずこの映画を思い出す。
映画を見る人たちはよく、自分は何を観るにしても必ず字幕派だとか言う。けどこの映画に関して私は、字幕も吹替も原作本も全て好きだ。吹替は中学の頃から好きな声優の1人だった津田健次郎さんと入野自由さんだし、この映画を観てティモシーシャラメの美しさと普段のインタビュー等の姿とのギャップにやられたし、アーミーハマーもいかにも
つんドルを観て考えた自分の人生
「僕から見たら、君は眩しいけどね。
全力で生きてるじゃない。心配になるくらい。」
そのササポンの言葉が、自分自身にも深く刺さった。
なにより、安希子が自分のようだった。
焦って、がんじがらめになって、自分は大丈夫だと言い聞かせて(実際、全く大丈夫ではない時ほど周囲と自分には「私は大丈夫!」と言い切ってしまうんだよな)、でも体と心は完全には騙し切れなくて、気がつく頃にはとんでもない程疲弊している
52ヘルツのクジラたち
苦しくて、苦しくて、苦しくて、
本当に苦しい時は、涙が出ないな、と感じた。
胸が擦り切れるような苦しみと、頭のてっぺんを殴られたような苦しみと、胸の奥から込み上げてくるような苦しみを、消化できないうちに物語が進んでいって、映画を観た後、駅までの道を夢遊病のように歩いた。
でも、海の見える家でキナコがアンさんに語りかけるシーンは涙が溢れた。
わずかでも希望が見出せるような瞬間が、心の奥に温かく沁み