君の名前で僕を呼んで
春の柔らかい暖かさが過ぎ、もうすぐ夏かとふと気付くとき、必ずこの映画を思い出す。
映画を見る人たちはよく、自分は何を観るにしても必ず字幕派だとか言う。けどこの映画に関して私は、字幕も吹替も原作本も全て好きだ。吹替は中学の頃から好きな声優の1人だった津田健次郎さんと入野自由さんだし、この映画を観てティモシーシャラメの美しさと普段のインタビュー等の姿とのギャップにやられたし、アーミーハマーもいかにもエリオが惚れそうだな(主観)というようなかっこよさがある。原作本は「え、ここまで言葉にできるの?」というくらい些細な心情まで細やかに書かれていて、それまで読んできた本の中でもぶっちぎりで好きな本になっている。初めて読んだ時は最後の30ページくらいずっと胸が痛くて、読後3日は引きずった。
この本の感想を書くとしたら、できることなら「あああああむりむり好きダァァァァア」と意味のない奇声をあげて終わりたい。それが一番この作品への自分の愛を表せると思うから。でもそれじゃ何も伝わらないので、言葉にするとすればもう風景がとにかく美しい。仮にストーリーに全く目を向けず風景を見ることに徹しても充分に満足できるんじゃないかというくらいの映像の美しさがあると思う。まあこの物語に引き込まれずに風景だけを見ることはほぼ不可能だと思うけれど。
そして本当にこの、恋愛から生まれる無数の複雑な感情の揺れ動きが表現されている所が何といっても美しいし素晴らしい。例えばエリオに関して言えば、恋愛感情が芽生えているのにそうじゃない振りをしたり、好きな人に褒められたのが嬉しくてつい調子に乗ったり、嫉妬によって望んでいるのとは全く違う行動を取ってしまったり、本当の気持ちを伝えるのが怖かったり、でも気持ちが通じ合えば止められなくてオリヴァーよりも情熱的に彼を求めたり。オリヴァーも、一見分かりづらいけれどエリオと気持ちを確かめ合ってからは確かに揺れていて、もう、2人の純粋な気持ちのぶつけ合いを見ていると2人の別れが本当に辛くなってきてしまう。別れが近づくにつれて本当に、私が当事者なのかというくらい胸が張り裂けそうだった。この関係はきっと一生続けることはできなくて、どこかで終わりが来るものだとして、この別れがその「終わり」を告げるものなんだろうか、それを認めたくなくて心が張り裂けそうだけどせめてお互いが目の前にいるうちに沢山の気持ちを確かめ合いたい。あああもう無理、無理やめてくれ好きダァァァア。
エリオの博識で「僕は他の人と違う」と思っていそうなブックスマート感。オリヴァーもかつてはエリオみたいな若者で、それが大人になった感を感じた。オリヴァーにとってエリオは可愛くて仕方ないふうに見えているんだろうなと感じた。
何といっても見逃してはいけないのは、エリオにかける父親の言葉が素晴らしいのだ。
「人は早く立ち直ろうと自分の心を削り取り、30歳までにすり減ってしまう。新たな相手に与えるものが失われる。だが何も感じないこと…感情を無視することはーーあまりに惜しい」
「心も体も一度しか手にできない。そしてーー知らぬうちに心は衰える」
「痛みを葬るな。感じた喜びも忘れずに」
この作品を観る人はきっと、登場人物の様々な心の揺れに反応してしまう。そんな繊細な感性を持つ人たちに対する贈り物のような言葉だとも感じた。
エリオにとっては間違いなく、初めて本物の恋を知ったかけがえのない出来事だっただろう。オリヴァーにとっても同じだっただろうか。勝手に彼にとっても忘れ難い、下手したら結婚相手との恋愛よりも尊い感情を知った出来事になったんじゃないかと期待してしまう。オリヴァーにとってエリオとの出会いが単なるひと夏の思い出でないことを願う。
オリヴァーにとって交際相手の女性がいるのに違う人に強烈な感情を抱いたことも、同性に恋をしたことも、どちらも困惑するものであったんじゃないかと思う。特にエリオの両親が息子とオリヴァーとの関係を暗に認めていたことに対して運がいいと言っていた所から、オリヴァーの家庭は同性へ恋愛感情を抱くことを良しとはしなさそうだし。オリヴァーがエリオへの気持ちに蓋をしてしまっていたら、エリオと想い合う経験を、エリオの父親の言葉を借りれば「逃してしまった」だろう。逃さず向き合うことを選べば必ず別れが辛いものになると分かっていても、それでもエリオの真っ直ぐな感情と自分の正直な想いに応えたオリヴァーは強いと思う。
Mystery of Loveが流れている間も泣きそうになる。まるで夢の中にいるようなメロディーで、夢見心地のような幸せな恋を連想させるとともに、その夢が覚めてしまう瞬間をも同時に連れてくるような曲だと感じるから。