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徒花

未来に、クローンの生成が合法的に(公に)認められる社会になるという設定。「基本的に人間はそれと直接話をすることはできない」という定めになっている理由は、人間やそれの人権、尊厳、生きていく意味を真面目に考え出してしまったら、新次のように言葉で言い表し難い苦しみを味わうことになるからだと、私は思う。
あの施設で働きたくないな、とまず思った。命が生まれて命が捨てられる。そこに自分が加担したら、命の意味が自分の中でどんどん軽くなっていきそうだと感じたから。
人生のポジティブな側面だけを記憶した新次のそれは、「ただただ生きていることに価値があると感じて生きられた世界線の新次」のようだった。個人的に意外だったのは、それが新次と対面した時に「会えるなんて夢のようだ」という姿勢だったこと。それは、自分が人間の都合のためだけに生み出されて外にも出られずに暮らす存在だということを憎まないのか。人間に対して敵対心を持たないような教育を施されるのだろうか。え、私の理解が浅かったら申し訳ないのだが、もし人間の都合でそれを作ったのに「やっぱいらなかったわ〜」ってなったら、またしても人間の都合でそれは処分されるってこと…よね…?
ていうかあの施設の運営のための費用とか、それの食費とかって国が負担してるのか…?医療機関か…?さっき「働きたくない」って言ったけど、あの施設で働くってどういう流れでそうなるのか…?クローンのことや心理学的なことについて大学や大学院で学び尽くした学生がそのまま就職するのか、クローンを作れるようなお金持ちの家庭の子しか勤められないのか、それとも働いている人々はみんなまほろのような(まほろの言うことが正しければ)「実験台」たちなのか…謎が多過ぎて、ほっといたら永遠に考えてしまいそう。。
新次は自分のそれのことを自分よりも純粋だと感じたかもしれないけれど、医療に携わる者(新次っておじが医師で自分も医療に携わってるんじゃなかったっけ違ったらごめんすぎる)であるにも関わらずそれに会ったことでそれのこととか自分の人生のことをあんなにも考えてた姿を見て、新次も純粋さを持った人だと感じた。

あと、新次が子どもの頃に見てしまったあの入口を見て千と千尋の神隠しの入口を思い出して、神秘的な怖さをより感じた。

まだ語りたいがここから先は紙のノートに書くか…打ち疲れた…

見るたびに1時間くらい思考に浸って、10個くらい質問を考えて監督に聞くというのを繰り返せたら贅沢だなぁ、と思う作品だった。

舞台挨拶について。
新次の苦悩のシーンは脚本には詳しく書かれているわけではなかったと伺って、甲斐監督が詳細を俳優に委ねる監督なのかもしれないけれど、井浦新さんは委ねたら必ず面白い(ファニーではなく心動かされるようなという意味で)表現が返ってくるって分かってる(信じている)から、というのもあるのかなと感じて…一番印象に残った。

井浦新さんや甲斐さやか監督は芸術家なんだなぁ…って心の皮膚にじわっと刻み込まれた。芸術に没入した生き方をする人が好きだ。私はその方がよっぽど、生きているという感じがする。
(井浦新さん、本当に…雰囲気が…大学教授みたいな方だった…これはものすごく褒めています、褒めてるってちょっと上からみたいな言い方で申し訳ない…
監督は、鋭く刺さるような、一部はグロめと言っても差し支えないような、そんな作品を生み出す方とは思えない感じの優しそうな方だった…)

突然望みが叶うと今起こっている現実への理解に時間がかかってしまって、お二人のサインをもらっている間、まじで信じられないくらい真顔になってしまっていた。元から眼力が強めなのでもし睨んでいたら申し訳なかった。次、何かの舞台挨拶に行く時は、せめて笑顔で挨拶できたらなぁ…と思った。

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