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NOTEにことばを綴るわけ

こんにちわ。

タイトルに
“NOTEを更新する理由”
ってはじめ打ったんですけど、

不完全さ、人っぽさ、適当さ、荒さ、
そんな類いのものが削がれる気がして
やめました。

ことばを綴るって表現は、
補正不十分な むき出し部分を
ほつれ、もつれ、みたく
そのまんまにしてる感があって
すきです。

“綴る”の意味を検索したら、<欠けたり破れたりしたところをつぎ合わせる>と でてきたんですよ。

先日流れてきたショート動画で
山で生活してる東出君が
「靴下とか穴空いたら縫い直す」
「壊れたら買い替える、は当たり前じゃない」
みたいに言ってたのを思い出しました。
(針は自然界に代用品が無いから貴重な物、大事に取っておくらしい)


パンツも破れたら縫いなおすのかな。
パンツとヒートテックって、捨て時が謎で。
そもそも簡単には破れないのに、破れた部分縫い直してまで使ってたら、30年くらい使いそうなんですけど(笑)
やばすぎ(笑)

さて本題に戻り、わたしがこのNOTEにことばを綴るわけですが…


とくにありません(笑)


最近、読者である友人たちに
「なんでNOTEやってるの~?」
て聞かれる場面が数回あり
改めて考えたんですけど


理由、とくにないです(笑)

やるメリットはあるけど、
別にそれは理由じゃない。


人に会ってお喋りすると
書きたくなるんですよ。
想いが溢れてくるんですね。
結果、綴りたくなる。
綴りたいから綴っている。
これが唯一の理由です。

こうした欲求って、どう考えても自発的能動的じゃないんですよね。
外からいーっぱい影響を受けていて、たくさんのものを与えられているんだと思います。


言葉を綴る=外側と内側を綴る行為。
外から受け取る行為。
自分に与える行為とも言えます。

自分に与えまくって満ち足りて
溢れ出たエネルギーで
結果、自然に他者に与えてる状態が
健全な愛だと思ってて(笑)

誰かを力づけることのできる、健全な愛情深い生き物でありたいんですけど

自分の内側と外側を綴る作業が、そこに役立つんじゃないかなぁなんて思ってます。

最近は
だいすきな人たちへ
語りかけるつもりで
この場を使っています。

わたしがこの場で綴りたいものの本質は、関係性なのかもしれません。

ことばは人の心を動かす起爆剤となりますが、それ以上に態度は人の心に深く深く刻まれる。
これが最近のまなびです♡

読んでくれてありがとうございます。
世界に、あなたに、たくさんの祝福がありますように。

きょうもすべてに感謝です♡

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