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食べる瞑想とパン作り

「食べることが好き!」という人が少しうらやましい、と思う時がある。

私にとって食べることとは、生きるための作業だ。
食に対して無頓着で、健康を維持し、食べられれば割となんでもいい。

もちろんおいしいものを食べることは嫌いではないが、そもそも食べるという行為自体が、そんなに得意ではない。

疲れていたり、ストレスがたまっていたりするともっぱら、食べられなくなる方だ。なぜなら食べるという行為そのものが疲れるからだ。

しかし、食べることが好き、という人はそもそも食べるという行為自体が好きなのだ。

好きだから美味しさに貪欲であり、料理を追及したり、美味しいお店をよく知っていたりする。
食の話をとても楽しそうにする。

そんな人たちの食の楽しみは、私には生きる楽しみに見えるのだ。

食べる楽しみ

食べる楽しみとは、美味しいものに出会う冒険であり、その味を味わうその瞬間の喜びだ。

しかし私は一人での食事の時、よくスマホを触りながら食べたり、YouTube動画やアマプラで映画を見ながら食べたりしている。
食事の味はなにも覚えていない。

どんな味だったか、きちんと味わうには集中力が必要なようだ。

また、食事の味を覚えていない場面というのは他にもある。

それは緊張している場面だ。

緊張する人との食事会は、どんなにおいしい料理が出されていても、全く味がしない。

仕事での会食で全く味がしなかったレストランに、2度目、プライベートで同じお店に訪れたとき「こんな味がしていたのか!」と驚いたことがある。

つまりは、食べることを楽しむ「味わう」時は、心がリラックスしている時、ということになる。

食事の味を味わうには、味に集中することと、心がリラックスした状態が必要なのだ。

パンを作って焼いたら幸せだった

私のご飯のお供のYouTube(笑)を見ていた時に、とても簡単にパンが作れるレシピ動画を発見した。

その焼きあがったパンがとてもおいしそうに見えた。

なので、さっそく材料を揃えて作ってみることにした。

土曜日の夜に生地を作る。

ふわふわに焼きあがるかな?と期待と不安をもちながら、翌日の日曜朝に、焼きたてのパンを食べる、という至福の時間を送ることに思いを馳せる。

翌朝置いておいた生地をオーブンで焼く。
次第にいい匂いがしてくる。
でも動画で見たものよりもふくらみが足らないような気がする。
カチカチのパンだったらどうしよう。
と、『至福の日曜の朝』が崩れることに不安になったりする。

焼きあがったパンをかわいいittalaのお皿に乗せる。
うん、かわいい!

あつあつの焼きたてのパン。
バターを乗せる。のせたバターが溶けていく。

いただきます!
千切ったパンは湯気を立て、ふわっと香る。
もちもちだ。
口に入れる。
市販のものより甘みや、匂いは少ないが、素朴な味がする。
バターの味も引き立つ。

美味しい!
焼きたてのパンがおいしい!

これこそ日曜の至福の朝だ。

秋の朝の風が涼しくて、パンとコーヒーが湯気を立て、心が落ち着く。

なんて贅沢な時間だろう。

食べる瞑想、なるものがある

「食べる瞑想」と呼ばれる瞑想の方法がある。

食事の「今」を十分に味わう瞑想だ。

「食べる瞑想」は私としては、そのこと自体が訓練でも修行でもなく、幸せな時間を送るためのものだといいな、と思う。

自分なりの幸せな気分を感じられる食事の方法を見つけることは、日々の喜びを増やすこと。

と、パン作りをして思いました。
パン作りは自分にはとてもハマりました。

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