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7.沈黙するストーブ、踊るページ:「好きなページはありますか。」ショートストーリー集

「河野先生、残業するんやったら無駄な電灯は消しとってくださいよ」

「ああ、はい。すみませんです。後藤先生もお疲れさまでした」

正月気分が抜けきらぬ気だるさが、目の前の紙の束をいっそう分厚く見せる。職員室に置かれただるまストーブが「キン」と音を立て、はかない金属音は誰の返事も待つことなく夜闇に消えていった。

ストーブは再び沈黙した。やはり、この街の冬は暗い。

後藤先生は私よりも二つ下なのだが、九大時代に2年の空白があった私よりも教師歴が長い。そしてこれはおまけだが、私よりも背が高く男前だ。

彼も彼で気を使っているようだが、歳上ながら後輩という私もかなり難しい立ちふるまいを強いられている。生徒たちのことだけでも精一杯だというのに、教師というのは職員室の中が存外にややこしくて困る。

ため息をついたら、室内というのに多少息が白くなった。ストーブ一つではなかなか温まりきらない。改めて目の前に積まれた提出物の山を見やり、今度はより濃い白の吐息を漏らした。

自分で出した宿題に自分でため息をついているなんて生徒たちが知ったら、どんな風に思うだろう。彼らは教師に失望するだろうか。たとえ上辺だけであれ「尊敬」させられている相手が、真っ暗に近い職員室で自分たちの書いた読書感想文の山を前にため息をついているだなんて。

勤務校の伝統で「一年のはじまりにふさわしい本」を見つけるための読書感想文を、冬休みに課すことになっている。しかし正月休みにだらけていたいのは大人も子どもも同じことで、ほぼ全員が親に言われるがままの本か教師が勧めた本を手早く読み「面白かった」だとかなんとか、文字通りの「感想」をこねくり回してなんとか原稿用紙を埋めてくるだけだ。

正直なところ、私は生徒たちの感想に期待なんかしちゃいない。私が受け持つ小学校二年生の生徒たちはまだ自我も薄く、言われるがままに道徳的で従順で幸福な物語を目で追い文字の練習をしてくるだけだ。

「・・・思います」「・・・思います」「・・・思います」

無から生み出された「思います」は、無邪気だからこそ読む者を息苦しくさせる。

教師を続けて6年目、ときどき自分が「将来の勉強嫌い」を量産し続けているような気にさせられる。かくいう私だって小学生の時分にどんな読書感想文を書かされたかなんて覚えちゃいないし、最近は・・・正確に言えば大学を出てから、ほとんど本も読みやしない。

一度やりたくもないことを強いられると、人はその対象を生涯疎んじることになる。

日本は昨年、自動車の生産台数で世界一位に立った。しかしながら今の子どもたちを見ていると、二十年後にはそんな栄華も過去の遺産になっているだろうと予想せざるをえない。やりたくもないことを命令されるままになんとかカタチにする。そんな習慣ばかりを身につける彼ら彼女らが、生涯もっと豊かな国を築くようになるとは思われない。

「キン」とストーブが鳴る。早く取り掛からなければ一生終わらないぞと脅されているようだ。

時刻は21時に差し掛かろうとしている。

秋元君、井出さん、江頭君・・・。「・・・思います」「・・・思います」「・・・良かったと思います」

小田さん、小野さん、柿本君・・・。「・・・思います」「・・・思います」「・・・怖かったと思います」

この子たちがどんな顔をして「・・・思います」を書きつけているのかと想像すると、腹立たしいやら虚しいやら謝りたくなるやら。私は、なんのために教師になったんだろう。だいたい「なんのため」なんて、考えたことがあったろうか。

次は、北野さんだ。彼女が取り上げた題材をみて、アッと声が漏れた。

変身記へんしんき

アイルランド作家マイルズ・イェールの幻想文学は、7歳の彼女にとって読み解くのが困難だっただろう。漢字だって読めないものが多かったはずだ。

私自身、初めて手に取ったのは自分が19歳の頃だったと思い返す。もちろん世田谷譲司が邦訳したのが1968年だったからそれまでは日本語で読むことができなかったのだけれど、何にせよ小学校二年生で読むには難しすぎる。これは感想なんて生まれようがない。

私は北野さんの感想文を手にしたまま、九大生時代によく通った喫茶「ロンリイ」での冬の日を思い返した。

あの日私は、ロンリイで働く文子さんとはじめて言葉を交わした。彼女は私が持っていた『変身記』を見て、好きなページはあるかと問うたのだった。

そして私は彼女に問われた「好きなページ」を探すために、その夜から懸命に『変身記』をめくった。

間違いなく良書だった。「好きなページ」だらけだった。

しかしハッキリとその魅力を言葉にできないままあの冬は過ぎ、私は結局文子さんとその本について語ることはなく、他愛もない会話をする程度の仲にとどまった。私が大学を出る24歳の頃には、彼女はロンリイには居なかった。

ロンリイのおかみさんによると、博多にある設計事務所で仕事に就いたとのことだった。喜ばしいことだ。喫茶店で酔っ払った学生の喧嘩を止めているよりはよっぽどいい。それが彼女にふさわしい人生だったのだ。私は私で、成り行きに任せるようにして教師となった。

私も、もう31歳になる。ロンリイには、今もたまに行ってナポリタンをいただいている。

「キーン」

強くストーブが鳴り、沈黙した。どんどんと寒くなっているのだろう。私は回想から振り戻り、目の前の読書感想文の講評に戻る。北野さつきさんが書いた『変身記』の感想だった。

出だしはこうだ。

「まだならったことのない漢字も多くて、読むのが大変だった」

それはそうだろう。しかし、まだ学習要領としては教えていない漢字も使って、力強い筆跡でよく書けている。意思が強い子だな、と感じた。

「『変身記』を読んで、マイルズ・イェールという作家はすごいと思いました」

私はひどく寒く感じた。落胆した。「すごいと思いました」で、この作品を済ませてしまうのは、あまりにも短絡的だ。

しかし、次の文章に私は目を見張った。

「それは、文字だけで書かれた紙のうえにしかないはずのあたらしい世界が、わたしの心のなかにずんずんとかさなっていくからです」

長年の探し物を家の居間で見つけたような心地がする文章だった。

『変身記』は、広告チラシの裏にイェールが書きつけ始めた物語だ。ただただ質素な素材に投げやりとも言えるかたちで残された単純な「文字」が、絵画でも絵本でもないのに、私たちの心の中に生き生きとしたビジョンを生み出す。ファンタジーとか「幻想」とか言われるが、そこには確かにもう一つの「現実世界」が生まれている。

そのことを知ってか知らずか、北野さんは小学校二年生ながら自らの言葉で『変身記』の魅力を掴んでいる。

さらに、彼女は続ける。

「もし英語で読むことができたらまたちがう世界がわたしの心にひろがると思うと、この本がかかれたようすをもっと知りたくなりました」

すごい。そんなこと、思ってもみなかった。

北野さんは、小学校に入る前から柔道に励んでいる子だ。勉強はよくできるけれど、こんなに深い洞察を見せることができる子だという認識はなかった。小学二年生に、ファンタジーの醍醐味や言語間比較の魅力を掴むことができるとは・・・。

「キン、キン」

北野さんの読書感想文を掴んだまま、呆然としていたらしい。ストーブがまた時の経過を教えてくれる。しかし今回の金属音には、どこか心地よい暖かさがあった。

小学生だから、どうせ感想なんて書けないから、この本はまだ難しいから。そうやって決めつけていたのはいつだって大人のほうだった。

「大人のほう」なんて言い方も、私の傲慢かもしれない。子どもたちの底しれない魅力にもっと簡単に気づくことができる大人だってたくさんいるはずだ。誰だっていつだって、文字が踊る感動にときめくことができるのだ。

「俺って今、教師してるな」

誰もいない職員室で独りごちた私は、もう一度秋元君の読書感想文から読み返すことにした。

そこにはやはり「・・・思いました」の連続が繰り広げられているのだが、彼の日々の仕草を浮かべながら読む「・・・思いました」には、色鮮やかな非日常が踊っていた。

***

「小田さん、漢字の間違いが少なくなっとったよ」

「小野さん、楽しく読めとったね」

「柿本君、習うとらん漢字も使うて、辞書がうまく使えとるね」

「北野さん・・・」

1月7日の冬休みあけ、まだ休み気分が抜けない子どもたちに読書感想文を返していく。ざわつき気味の教室の中、背筋をピンと張った彼女は実際よりもずっと背が高く大きく見える。まだ、7歳というのに。

「北野さん、面白い本ば選んだね。どこで知ったと?」

何気なく訊いているように装ったが、その答えをずっと聞きたがっていた自分がいた。

北野さんは嬉しそうに読書感想文の用紙を受け取り、私に答える。

「先生の、机に置いてあったからです」

真っ直ぐと私の目を見て話す彼女は、なんだか私を励ますようですらあった。

そのとおり、北野さんは私の事務デスクに置いてあった『変身記』を見て、何らかの興味をもち、図書館で借りたのか両親に買ってもらうかして読了したのだ。

私の事務デスクに、その本はずっとずっと置いてあった。

「おお、あれか。見つけてくれてありがとう。難しい本やったのに、よく読んだやん」

「今、読んどかんといかんと思ったんです。難しかったし、わからんところもあったけど、今読んで良かったと思います。先生、ありがとうございます」

頭の中で「キン」と音がした。

今なのだ。すべては「今」なのだ。

11年間、いや12年間。「ロンリイ」で出会ったあの日からずっと、私は文子さんに「好きなページ」を伝えないままでいた。

あの本がくれた、本の中で踊る文字が私の心に映し出した新たな世界に布をかけたままでいた。

子どもたちのほうが、ずっと立派じゃないか。

「北野さん、先生のほうこそありがとう」

そう言うと、彼女はちょっと首をかしげながらも「はい」とくっきり返事をして席に戻った。

冬休み明け初日の授業は早く終わる。今日はサッサと引き上げて、ロンリイに行こう。そしておかみさんに、文子さんが勤めている会社の名前を聞こう。

きっとまだ、縁が続いているはずだ。

そして今日のうちに、手紙を書くのだ。

今のこの気持ちが熱く鮮やかなうちに書こう。彼女は私より2歳年下だから、29になる年だ。もう家族があってもおかしくない。手紙は迷惑かもしれない。しかし、もう今しかない。

もう、大切な本を机に飾ったままにするのはやめにしよう。

大切な本を開いて、大切な人に心を開いて、文字を踊らせよう。

そして、すべてのページが踊りはじめる。

今日私が書く手紙の出だしはこうしよう。

「好きなページはありますか。」
あの時貴女が其のようにお尋ねくださらねば、私はこうして貴女に手紙を差し上げることもできなかったでしょう。

彼女が私に好きなページを尋ねた刹那から生まれた、彼女と私が「好き」を分かち合うことができる可能性。それがまだ、続いていることを祈って。

・・・もちろん、続いているさ。

7.沈黙するストーブ、踊るページ」おわり。

宮崎本大賞実行委員がお届けするショートストーリー集「好きなページはありますか。」をお読みいただきありがとうございます。

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≪企画編集≫
宮崎本大賞実行委員会

≪イラストディレクション≫
河野喬(TEMPAR)

≪イラスト制作≫
星野絵美

≪文章制作≫
小宮山剛(椎葉村図書館「ぶん文Bun」)

ショートストーリー「好きなページはありますか。」は宮崎本大賞実行委員有志の制作です


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