拝啓、私の青春の1ページ。
拝啓、先生へ。
最近暑いと感じる日が増えましたね。
私が大学受験すること自体を諦めてもう5年目。
こんな日は近くのローソンで先生が買ってくれたバニラ味のハーゲンダッツの味を思い出します
先生と出会ったのは小学5年生の頃。
「周囲が塾に通っているのに我が家は何もしないなんて。」と母は塾探しをした。
そうしていると今でも仲の良い友人の母親が
「◯◯のビルのある算数の塾が結構わかりやすくていい感じなのよ。」
と言っていて、取り敢えず形だけでも通おうと母は思ったらしくそこに通うことになった。
初めて通った日、その塾があるビルへ友人と歩いて向かったが私から出た最初の感想は
「何このボロいビル…」
だった。
年季の入った壁に、草木が生えっぱなしで入るのも難しい入り口。
そのビルに入って急な階段を3階登った左側のひと部屋が塾だった。
いざ!と勇気を振り絞り、ドアを開ける。
そこには優しそうな声で、
「ああ、やあ。◯◯さんだね?いらっしゃい。」
と言う先生がいた。
塾の先生はおじいちゃん先生だった。年齢は60代後半に見えた。イメージするならば喫茶店のマスターのような雰囲気を醸し出している。
歩くとポケットから小銭がチャリンチャリンと音がする。声がとても眠たくなるような…私の第一印象はそんな感じだった。
塾は長机が5つあって、そのうちの1つはプリントと赤ペンの山になっていた。他の長机に生徒は座り、来たら先生から渡されるプリントを解き、先生に提出してわからない所は聞く…そういう所謂公文のようなスタイルの塾だった。
先生の出すプリントは一見簡単そうに見えて難しかった覚えがある。何故ならそれは先生が自作した問題であったり、有名大や過去の先輩から受け継がれたテストの過去問であったからだ。
そんな不思議な塾は意外なことに(失礼だが)繁盛していて、夕方の15:00〜夜の22:30まで開いていた。
私はその塾に9年間通った。
先生の教えは分かりやすく、私は数学が一番好きな科目だと言えるようになった。
数学の模試の偏差値は最高68まで上がり、高校1年の1学期の期末考査では98点を取り学年一位になり、
先生は穏やかに微笑みながら
「そんな点数は二度と取れないだろうから額縁に入れなさい。」
と笑って言っていたのを思い出す。
真夏は年季の入った古いエアコンが壊れていて、
「暑い〜!」
と友人と一緒に唸っていたらチャリンチャリンと音がするポケットから小銭を出し、
「これで下の自販機から何か飲み物を買ってきなさい。」
とお金を渡されたので慌てて丁重に返した。
でも、一度だけ真夏に塾で課題を6時間以上籠もってしていた時、
「暑いでしょう?食べなさい。」
とハーゲンダッツを渡され、塾には冷蔵庫がないので美味しくいただいた。その時の暑さに溶ける冷たいバニラのアイスクリームの味は忘れられない。
そうやって日々を過ごして、
私は友人と先生と一緒に大学を目指し、受験すると信じて疑わなかった。
でも私は大学を受験しなかった。
出来なかった。
精神の病気に罹ってしまったから。
塾に通えなくなったのは17歳の頃。
私は診療放射線技術を目指せる国公立大学を目指していた。
その学科の偏差値は64。当時の倍率は7倍。偏差値的には目指せない範囲ではなかったのだか、病気は思った以上に重かった。
亡者のように呻き、薬を飲み、眠り、
「大学」
という言葉が自分から出た頃には気付いた時には私は19歳になっていた。
一緒に塾へ通った友人は国公立大学に既に進んでいた。
その頃の私の偏差値は54にまで落ちていて国公立大学は絶望的。地元の同じ資格が取れる私立大学に志望を変えた。
塾の先生には
「ちょっと体調不良で。」
としか私は言わなかった。
でも先生は何も言わず私を
「いらっしゃい。」
といつも変わらない穏やかな顔で受け入れてくれた。
当時先生はもう70代。
「歳だから痛風が痛いんだよね。」
と笑ってた。
そうやって通うのを再開した私だったけれど病気が残した残遺症状が重く、結局私は気づいたら塾に通うのをやめていた。
私はもう20歳になってた。
それから暫くして症状は僅かながら落ち着き、先生に会う機会があって私は全てを話した。
「私の他の生徒にも同じ精神の病気の子がいてね…何となく君のことはわかっていた。けれど何も言えなかった。自分から話してくれるのを待ってた。」
と先生は笑いながら泣いていた。
「高校1年生で君は阪大の数学を解いてたから将来が楽しみだった。」
先生はポツリと呟いたけれど、私は
「人生何があるかわからないんですよね。だからいい思い出です。」
と笑えた。
そして近況を話し、帰った。
今先生が塾をしているのか私は知らない。
毎年、年賀状を送り合っているが、
「もう歳で足が悪くてそろそろ引退を考えてます。みやびさんも身体には気をつけて。」
と今年は書いてあった。
見た目はボロいビル。
古くて冷房の出ないエアコン、壊れたコピー機、山積みになっているプリントと赤ペン。
使い古された長机。
忘れられない味があるとすればそれはバニラ味のハーゲンダッツ。
私は先生に出会えてよかった。
ありがとう、先生。
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