「~すべき」から「~しない」へ思考を変える理由
先日、
ステキなつぶやきを発見!
「くま」さんの
つぶやきに使用されている写真から
人間関係における「10のしないこと」は
ひとつずつ読むと、非常に共感しました。
わたし自身としては…
②愚痴ばかりの人とは関わらない
④会話の沈黙を恐れない
⑧周囲に求められるキャラクターを
演じない
上記の3つは、
とくに強く共感しました。
✔人間関係に
ちょっと疲れた人の
守るべきルール
気になることは、
調べたくなる性を持つ
わたしでしたので…
さっそく、ネットで検索。
調べてみると、
下記のリンクがヒットしました。
上記の記事を書いた
「かのえ かな」さんによって作られたのが、
今回の人間関係における
「10のしないこと」リストです。
元々は、
著書「しないことリスト」を元に
考えられたとのこと。
「かのえ かな」さんは、上記の著書を
分かりやすく解説されています。
以下、引用文です。
そうなんです(〃ノωノ)
まさにごもっともと感じました。
わたしたち社会で生きる人は、
どうしても「~すべき」という固定概念に
無意識に支配されて過ごしています。
「親は子供の手本となるべき存在だ」
「親同士、仲良くすべきだ」
「上司は部下の良き理解者になるべきだ」
「部下は上司の意見に
つねに賛同すべきだ」
「誰にでも良い顔をすべきだ」
「女性は男性の一歩後ろを歩くべきだ」
など…知らず知らずのうちに
「~すべき」といった思考に偏り、
不必要なルールを自分に課して
毎日を過ごします。
✔生きづらくなるルール
「~すべき」
「~すべき」というルールを作れば、
自分の生き方を肯定しているように感じて
強い自信を得られます。
自分にしかできないことと感じて、
強烈な使命感を得られます。
ただ、かえって
「なんでもかんでも~すべき」
と考えてしまうと、さぁ大変です。
相手の言動や行動、
生き様すらも否定するハメに…
相手を否定するだけにとどまらず、
つぎは自分自身も
作り出したルールによって
正しい判断ができず
結果、損をすることにつながります。
「良いものは良い」はずなのに…
「~すべき」によって、思考の偏りから
良いものまで悪いモノと認識するのは、
あまりにもったいない考え方でしょう。
また、「~すべき」と考えると
ついつい世間体を気にした思考に偏ります。
周囲の目を気にして、
自分の思ったことも発言できない日常では
いずれはストレスに押しつぶされて
大きく転ぶことにつながります。
✔「~すべき」から
「~しない」へ
「~すべき」と考えると、どうしても
「やらなきゃ」「やって当然」と
前のめりに考えて思考の幅が狭くなります。
また、自分の意見を尊重することよりも、
周囲の圧迫的な意見を軸に考えて
”自分らしく生きる”ことと
かけ離れた生活を強いられます。
大事なのは、
”あなたらしく”生きることです。
上記の記事内で、
「しないことリスト」著者であるphaさんは、
こう述べていました。
心がフッと
楽になりますよね( ´ ▽ ` )ノ
自分自身を世間の「しがらみ」から
解放するために…
そのために「~しない」とルールを決めて
過ごしてみてはいかがですかと
推奨されています。
* * * * *
「~すべき」から「~しない」への
思考の変換は、わたしのテーマとする
『習慣』にも通ずるものがあります。
「習慣を断念した、諦めた」
という人の共通点には、
「~すべき」といった脅迫概念のような
思考に陥る傾向を見かけます。
たしかに、習慣に取り組む最初の頃は
「~すべき」と考えると
強い行動力に変えられる気がします。
でも、結局は「~すべき」の裏側には、
”自分らしく”は入っていません。
どこか自分と他人を比べて
「~すべき」と無意識に考えて、
いつかは比べることに疲れて
習慣を止めてしまうのです。
そうじゃなくて…
やっぱり大切なのは
「~しない」ことです。
わたしのnote投稿の「~しない」は、
一度パソコンの前に座ったら、
”note画面を開くまで
立ち上がらない”です。
そうして、ひたすらに
毎日記事を書き続けてきました。
いま思えば、上記のルールは
自分らしく続けるためのルールに
ピッタリ当てはまっていたんですよね。
続けられる人って、
やっぱり自分を大切にして
他人と比べずに過ごせる人なんだな~と
あらためて実感できました。
あなたの「~しない」ルールを
ぜひともコメントで
教えていただけると幸いです。
では、また。
失礼します。
サポートしていただければ、あなたの習慣活動を全力で応援します!!