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驕らず、謙虚な気持ちを忘れたくない

先日、はじまった「note勉強会」

目的としては、題材とする
「コメント」について議論して
ご自身の考え方や
尊敬するコメンテーターを共有すること。

勉強会の発起人である
「チェーンナー」さんには、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

また、こころよく勉強会の第一人者と
なっていただいた「かつお」さんにも
敬服の念を送らせてください。



現在、「コメントのあり方」について、
さまざまな記事で議論を生み出しています。

以下、記事をご紹介させていただきます。

上記、記事のコメント欄では、
たくさんの学びを共有されています。

ぜひとも、まだ拝見されていない方には
読んでいただきたい内容ばかりです。

もちろん、
記事の中身も素晴らしい内容ですので
コメント欄をのぞく前に
熟読していただけると
より理解を深められるので必見です。




おごらず
 謙虚な気持ちで

今回のnote勉強会で、
わたし自身も監修者としての立場で
任をいただき光栄に思っています。

同時に
勉強会参加者へのコメントにも、
責任を持ってコメントさせていただきます。

とはいっても、
偉そうな言葉を使うわけではなく、
心から「勉強会に参加していただき感謝✨」
という気持ちを表現できればいいな~と
思いながらコメントしています。



ただ…ふと感じたのは、
こうした立場でコメントするとき、
ついつい「相手を正したい」という感情が
沸々ふつふつと生まれることです。

「もっと、こうしたほうがいい」
「いやいや、この考え方はおかしい」
「だから、結果につながらないよね」

そういった…
「相手を自分の考えに染めたい」思考が
働きかけて脳をフリーズさせてきます。

どうして、
こういった思考に陥りやすいのか。

ひとつは、監修者という立場から。
ふたつ目は、顔の見えない相手だから。
みっつ目は、note経験年数から。

そして、すべてにつうじるのは
「人はつねに何かを比べたがる生き物」
だという点です。

上記の3つの点は、よく考えれば
自分勝手に作り出したカテゴリーです。

そうやって自分本位に、上手くいえば
「自分を上位の人間と思わせる」
ように演出しています。

「あなたはわたしより下だから、
 わたしの意見を聞くべき。
 もっと尊重して話を聞きなさい」と
思いたくなるように自分で試行錯誤します。


こういう思考って、
無意味ですよね😅


けっきょく、
何が言いたいのかというと…

どういった立場であれ、
自分がどういった人間であれ…

おごらず謙虚な気持ちを忘れないことは
つねに意識すべき
と思うんです。




✔自分ひとりで
 成り立っていない

また、前節のように
自分勝手なランク付けによって
「相手を正したい」気持ちが生まれるのは
”自分ひとりで成り立っている”
という勘違いも要因のひとつです。

どうして、物事が都合よく進むときほど
自分のおかげと思っちゃうんですかね。

まぁ、醜い思考ではなはだしいと感じます。

なかには、自分ひとりのチカラで
達成できた結果もあるでしょう。

ただ、大きな成果を挙げるさいには、
かならず誰かが横にいます。

もっといえば、
多くの人が関係しているからこそ
多大な成果を挙げられます。

ひとりのチカラって、
たかが知れているんですよね。


「なぜか順調に進んでいる!」
と思うときほど、
「誰かのチカラを借りているんだ」と
考えられるように
思考を鍛えておきたいものです。



* * * * *



「note勉強会」では、
たくさんの気づきを与えていただいてます。

けして、ひとりの人間では
不可能な知識や思考、経験から
学びの探求力は深まっています。

そして、そういった学びの奥底には、
「もっと楽しい時間を共有したい」
「自己成長につなげたい」
「noteをより良いものにしたい」

といった感情を感じずにいられません。

本当に皆様のご協力に
心から感謝しております。


だからこそ、わたし自身も
今回のタイトルにあるように
おごらず謙虚な気持ちを忘れず
これからも多くのnoter様と
真摯に向き合っていきます。

どうぞ宜しくお願い致します。

では、また。
失礼します😊

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