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健康生活の原理-活元運動のすすめ by野口晴哉

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野口晴哉の本を小見出し事に書いきました。動画もありの保管庫。
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#整体

全生って(語録抜粋)

晴哉先生の語録から 本日毎月の小冊子が届いたので、自分の為に書こうと思う(⌒-⌒; 整体の言葉は専門集団なので砕けた言葉もないし、でも専門用語が飛び交うし、伝統重んじるし💦 自分でも堅苦しく感じる事はよくある。宣伝もSNSもしないしホームページは動かないままだ。先生の顔写真もない、シェアもしない。

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今あんまり言わなくなったことーその2

最近、大脳反射とか、ストレスとかいう学説が出てまいりましたので、いろいろな精神作用が、体にいろいろ影響を起こしてくるということは学問的に判ってまいりましたが、例えば、A氏はB女が嫌いでD女が好きだということは、大脳を解剖してみても、内分泌物を検査しても判らない。男は女を好悪するということぐらいしか判らないのです。学問が人間の実際生活に役立つことはもっと先のことでありましょう。 また同じ刺激で生じたストレスも、人により現れ方がみんな違う。 ある人は恋愛をすると食欲がすすむの

「愉気」ということー間違った健康観-8

ー庇い補えば丈夫になるかー

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「愉気」ということー人間の実体は気である-9

自分の体を保つために、自分の心では大丈夫だと思っても無駄なことがある。口では「大丈夫だ、怖くない」と思っていても、手が動かなくなる。肩が下がらなくなる。大丈夫だと思っていても、そうならないことがある。やる気になると普段の倍の力が出るのが、気が滅入ると普段の力も発揮できなくなってくる。 結局、生き物というのは、物として存在するというより、生活している人間同士が二人以上でお互いの気を受け取り合って生活しているのですから、人間はある意味では、気によって生きているのです。物として見

「愉気」ということー気の交流-10

人間の中にはいろいろな可能性があって、それを発揮しようとしている。いや、不可能を可能にしようとする、そういう意欲で人間が生きているということもできます。弱くなったら弱わくなったで、今度は強い自分を作り出そうとする。ところが、心で努力しても、体で工夫してもできないことが、「気」ではできるのです。 自分の言うことを聞かない子供を、スパルタ式の鞭とか叱言ちかお菓子で、家畜を訓練するように考えている人がいますが、そういうのはどんなに訓練しても、そばへ行くだけでさっと逃げてしまう。

「愉気」ということ-類は類をもって集まるー12

生活している人間ということを考えますと、どうしても「気」というものを無視する事は出来ない。そしてその気が有ると無いとでは違う。欲の気の有る人同士が集まると、その人が嫌いでもその気に引かれて話に乗る。食の気の旺盛な人同士だと、ほかのことでは余り面白い話もないのに、食べることになると話がはずむ。 例えば、マグネットなら鉄にしか吸いつかない。だから吸いつけば、そこに鉄があると思うのは常識です。私の銀のライターを持っていました。そのライターにマグネットを当てると吸いつくのです。銀が

「愉気」ということー体の中の自然の働き-13

病気自体は体に中の自然の働きで、体に悪いものがあるから下痢するのです。黴菌が入ると困るから喉が腫れて熱を出すのです。それは大掃除の働きなのです。それを気張って辞めさせようなんて言うのは可笑しい。 どんなに気張っていても、人間は自然に年を取るのです。そういう体の働きに喧嘩をふっかけるのは可笑しいし、まして体に働きである病気に喧嘩を売るのは可笑しい。 妊娠しても9カ月経たないと生まれて来ないのです。それがもし三カ月だったら育たない。早いのがいいのではない。体の自然では妊娠すると一

「愉気」ということー丈夫に育てるには自分の力で経過させるー14

病気させないにがいいのではなくて、病気をしても、それを子供自身の力で経過させるということが正当な育児法です。病気になっても、それを自分の力で経過し、全うするのでなくては意味がない。 それを、治さなくては治らないのだよ決めている。怪我をしたところで、その人の自然に繋がる体の働きがあって、その働きで繋がらなくれは治らないのです。 傷口を縫っても貼っても、それは早く繋がるように仕向ける事であり、それで早く治るかどうかも判らないのです。 けれども縫ったり貼ったりしただけでは治ったので

「愉気」ということー愉気の心ー18

それなら陰気を退けて、陽気な活発な気を愉気したらどうなるだろうか。そこで愉気ということをやってみました。実際は触れられなくてもいい。気が感応すればいい。愉気して気が感応すると、何処が変わるか判らない元気になる。 けれども不安や闘争心はいけないのです。平穏な気持ち、天心と言いますか、自然のままの心でスッと手を当てるとよくなる。よくしようとと思うのは人間のつくった心です。使えば減るなんて思うのも、人間がつくった心です。 体の自然は腕を使うと腕が太くなる。足を使うと足が太くなって

「愉気」ということー体と心の関連ー20

ー腰が弱いと強情になるー 病気だけではなく、強情な子供も変わります。強情な人は腰が弱いんです。腰が弱いと強情になります。老人が強情になるのも腰が硬いからで、腰というのは行動の元です。 それは体を捻って行動することが難しくなるので、他人から見ると強情のように見えるのであって、運動が遅いというだけなのです。

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「愉気」ということー救急手当ー22

山の中で中様突起炎を起こした人が、大勢の人に助けられて山を降りて来た。しかし手遅れになったということです。中様突起炎は腰椎二番の右をちょっと押さえれば痛みは止って、自分降りて来られるのです。そんなことも知らないで山へ登るなんて冒険だと思うのです。 泳いでいて溺れたら胸椎七番をショックすれば息を吹き返すのです。腰椎二番と三番の間をショックすれば飲んだ水をみんな吐いてしまう。吐いてから胸椎七番をショックすれば息を吹き返す。そんなことも知らないで泳ぎに行くというのも可笑しい。誰もが

「愉気」ということー知識よりも本能の勘ー23

だから健康に生きていくことぐらいは、なにも知識の要ることではない。本能の勘をもっと敏感にし、自然に備わっている感覚鋭敏のすれば出来ることなのです。 食べたくないのに「十二時だから食べます」「隣の人が食べているから食べます」と言って食べる。食べないと損だと思って、お腹が空いてないのに食べる。癪に触ったから食べる。嬉しいから食べる。いろいろな理屈をつけて食べる。 働くことでも、働きたいけれども給料が安いから働かないとか、自分だけ働いたら損だと言って、働きたい要求を様々な理屈をつけ

「愉気」ということ-壊す働きと創る働きのバランス-25

不摂生が完璧になくなると、体に中にある丈夫であろうとする努力もなくなるのです。不摂生を全部なくしても、自分の中壊れる働きが退くだけ丈夫にはならない。人間は壊す働きと、創るはたらきwとで新青島する。そのバランスいきtりるのですから、治す方だけを考えて、壊す方を考えないのは間違いなのです。自然良能が体の壊れた脳治すものなら、病気は体を怖すぎる方の働きと考えるべきなのです。病気になるのも、治るのも通して自然の一つの力です。同じ力であって、対立する力ではない。病気になったり治ったりし

外路系の体育・活元運動を始める前に➖寝相➖

寝相に悪い人がいます。特に育ちざかりの子供は熟睡に入るまでに転々と寝相を変えている。「うちの子供は寝相が悪くて困ります」とこぼしているお母様がよくおりますが、この寝相が悪いのも一つの活元運動です。寝相が悪いうちは疲れを翌日に持ち越さないで、朝起きると潑剌としています。 疲労というものは、体の一部の筋の張弛が鈍くなって硬化した現象をいうのですが、この部分の硬化を張弛できるよう弾力性を恢復するようにしむければ、疲労は自然に消失いたします。つまり、体のある一部分に偏っている偏り疲