
「愉気」ということー救急手当ー22
山の中で中様突起炎を起こした人が、大勢の人に助けられて山を降りて来た。しかし手遅れになったということです。中様突起炎は腰椎二番の右をちょっと押さえれば痛みは止って、自分降りて来られるのです。そんなことも知らないで山へ登るなんて冒険だと思うのです。
泳いでいて溺れたら胸椎七番をショックすれば息を吹き返すのです。腰椎二番と三番の間をショックすれば飲んだ水をみんな吐いてしまう。吐いてから胸椎七番をショックすれば息を吹き返す。そんなことも知らないで泳ぎに行くというのも可笑しい。誰もが自分を守り、お互いを守る方法ぐらいは心得ている必要がある。今はなんでも薬で間に合わせようとしていますが、薬だけでは間に合わない事がたくさんあるのです。
私が新潟に疎開しておりました時、電気療法をやる人と、二人のお医者さんが疎開して来ていて、三人で毎日釣りをしているのです。私も誘われました。
その頃私は大勢の家族を連れていましたから、お米が足りなかった。村では「先生一人なら配給するが、こんなに大勢じゃ、村にはとてもそれだけの米はない」と言う。新潟に米がないなんて、そんな馬鹿なことはないと思って、「じゃあ、私が米を集める」と言って村へ散歩に出ました。ところが丁度その時、高い所から落ちて目を回した人がいたのです。私は頸椎の二番を押さえると直ぐ気が付くことを知っておりましたので、それをちょっとやりました。そして私が住んでいる寺へ帰るますと、大勢の人が並んでいるのです。 みんなお米を一升ずつ持って来て「看てくれ」と言う。中には一俵持って来た人もいました。
それ以来、米は大勢で食べても余るようになりました。愉気すると米まで吸いついてくるのです。
ところが前の三人は、釣りばかりしていて仕事をしないので、「君達もやってあげたらいいじゃないか」と言いました。電気療法をする人は、光線療法と言いまして、カーボンを電気で燃やしてその光を当てて治すことをやる人で、それは太陽の光線と同じものなのだそうです。そこで私が、「太陽の光線と同じというなら、新潟県の太陽は東京より強くて、あとから撒いたトマトが先に赤くなるくらいだから、その辺の屋根に穴を開けて療法をやったら代用になるではないか。それもしないで、機械がないから人を丈夫に出来ない、なんていうのは可笑しい」と言いました。
またお医者さんは「薬がないから駄目だ」なんて言うのです。「向かう野山にあった薬を使っていた。
ここの野山にも薬草が一杯あるのだから、それを取って来たらいいじゃないか」と言いますと、「俺は薬剤師ではない」。「じゃあ、人間の体の中自家用の薬があるじゃないか。胃酸だって、胆汁だって、インシュリンだって、アドレナリンだって、みな自分で作っている。自分の生命を全うするのに必要な薬はみんな体の中に用意されているのだから、自家用の薬を使うことを教えたらいいじゃないか」と言った。「そんな方法は習っていない」と言うので、「それでは薬屋さんの取り継ぎ人だったのだな」と言わざるを得ませんでした。ずいぶん憎まれましたが、本当にそう思うのです。頼るものが何かあると、それがなければやっていけないのです。私の場合は慌てて飛び出しても手を忘れることはない。だからいつどんな時でも間に合うのです。
手がなくてもいい。何もなくても体に触れなくてもいい。気で相手の気を活発にする。そういうようにして人間が生きていれば専門家もいなくなるし、薬がないから、機械がないから、病室がないから治せないなんていうこともないし、みんなもっと気楽に、元気に生きられる。いろいろな術が多く行なわれ、養生が多く行なわれ、薬が多く用いられて、人間が僅かに丈夫だというのは医療が退歩しているからです。医療の本当の進歩は、みんなが各自の欲することをやって丈夫であることなのです。それが難しいことかといえば、蟻だって鼠だってやっているのです。人の目に見えない小さな結核菌でさえも、近頃はストマイに耐える体になって再び出て来ています。目に見えない黴菌でも強くなって生きることを知っているのです。工場で作ったわけではないでしょうし、新しい学問をしたわけでもないでしょうけれども、みんな溌剌として殖えていくのです。
🌸
晴哉先生の言葉はいつも直球で、あたり前の事を、時には皮肉にも聞こえながらこころを揺さ振ります。日々自分の要求に従いいき終えたいです。たくさんの情報の中でも自分軸をさらに太くしていきたいです。
今は引越し中で3月中頃には移動です。年齢的に断られる事も多くいろいろ今回の引越しなどでも考えさせられ😔傷つく内容もあった😭、さらに姉妹間の相続の件で見解の違いから断絶??というくらい。で分割されない現状など他人より他人と思うような対応に心が氷ったよおお(゚o゚;;的実体験も重ねました。
ゼロから始めようと思いました。最初から誰も、何もいないと思えば、自ら潔く淡々とするしかない‼️
二十四節気瞑想月二回、直に会場に出向く瞑想会月一、活元運動3、4回。何があって、何もなくても日々、余分を無くし先ずは整えていないと!です。
立ち上がれない😓時も、必死な時も人生、年齢が上がって行けば行くほど、関係なく人同士は身内でも他人でもあるものです🥺。
静の瞑想、動の活元運動と、この二つはわたしの基本軸で時には支えです。
家族には一緒にやる人は居ない、まあ結局理解されないままだけど本当にやっててよかった!それだけです😌。
※
写真は最近好んでお借りしている古代の仮面です😅。
いいなと思ったら応援しよう!
