大人になったら、愛嬌が大事?
今日も1日、おつかれさまです。
大人になったら、愛嬌が大事なのでしょうか?
幼い頃は、頭がいい子になりなさい。
と言われて、勉強を頑張ってきました。
そこそこ賢い子供だったかもしれません。
賢い子供だったかもしれませんが、
空気を読んだり、友達を作ったりするのは苦手でした。
ただの頭のいい子
私は、ただの頭のいい子でした。
だから、ちゃんとわかりました。
友達をつくらなくてはいけないことも、
1人で行動してはいけないことも。
ちゃんとわかったため、
どうにか頑張っていましたね。
そのなかで、愛嬌も少しは手に入れました。
実体験からみても、愛嬌があれば、対人関係はうまくいきやすいですからね。
それでも、小さい頃は、愛嬌なんてありませんでした。
ただでさえ、空気を読むことが難しい私は、
愛嬌がないと、1人になってしまいました。
愛嬌を身につけてからは、
私の空気の読めないところは、
愛嬌の一部になったと思います。
一応、私は人並みの愛嬌はもっているつもりです。
そこそこの愛嬌、そこそこですがね。
私が、大人になったら愛嬌が必要なのかなって感じた理由を話します。
過去に会社で勤務していた際、
私には同期の女の子がいました。
彼女は、かなりの人見知りなうえに、
大きなつり目も相まって、顔つきがきつめに感じられるような子でした。
同期としては、ぱっちりした目元のかわいい女の子でしたが、
年上からみたら、性格がきつそうな人だったのかもしれませんね。
彼女は、人見知りも相まって、
あまり挨拶のしない、愛嬌のない子と言われていました。
私は、まわりからどう思われているのか必要以上に気にしてしまうタイプなので、
にこにこと挨拶は欠かさないようにしていたため、
愛嬌のいい子と言われていました。
愛嬌があったことで、
まわりからあまり嫌われることはありませんでした。
それでも、都合よく扱われたり、
たいしたことしてないけど、若くて愛想がいいから、怒られなくていいわねって言われたり、
愛嬌があっても、いいことばかりではありません。
めちゃくちゃ怒られていて、めちゃくちゃいらいらしても、
にこにこしていなくてはいけなくて、
愛嬌のいい子でいなくてはいけなくて、
意味がわからなくなりました。
笑顔の仮面をつけて出掛ける。
そんな毎日でした。
いつの間にか、愛嬌のない彼女が、
うらやましいと思っていました。
まわりから陰口を言われるのはつらいけど、
まわりにあわせるのもつらいですから。
それでも、大人になったら、愛嬌が大事です。
愛嬌がよく、まわりとうまくやっていけることで、
この先もうまくやっていけます。
幼い頃は、頭のいい子になるように言われても、
すこし歳を重ねれば、
愛嬌の大切さを感じさせられ、
いつの間にか、愛嬌が大事になっていました。
自慢のできる、頭のいい子
は、
愛嬌のある、みんなに愛される都合のいい人
に、なっていくことを求められるのでしょう。
もしかしたら、女の子だからかもしれません。
女は愛嬌。
なんて、言葉を聞いたことがあります。
現在は、男尊女卑の思考を否定したり、
男女の平等を訴えたりしているでしょう。
女は愛嬌なんて、時代と逆行していますが、
やはり、愛嬌がないと、うまく生きていくのは難しいかもしれません。
大人になったら、愛嬌がないと、うまく生きていけない。
無理に笑いたくないのに、にこにこしていなくちゃ。
そんなの、ほんとの愛嬌なのかしら。
愛嬌が大事だって言って、
にこにことまわりにとって、都合のいい人になることを
求められてるのかもしれません。
こんなことを考える私は、
ほんとは、愛嬌なんてよくないですね。
大人になったら、愛嬌が大事なら、
愛嬌のない私が、うまく生きていけないのも納得できます。
愛嬌が大事なんて言われても、
無理ににこにこしてる必要はないでしょう。
そりゃ、にこにこと愛嬌を求められる場面もありますが、
いつでも笑顔で都合のいい人になる必要はありません。
無理に笑って、愛嬌を振り撒いて、
ほんとに笑うことができなくなる前に。
愛嬌ばかりでなく、
自分のほんとの笑顔を大事にしましょう。
そんなこと無理だっていうなら、
愛嬌を振り撒かず、思いっきりわがままになれる時間を、
自分のために、自分だけのための時間を
過ごしましょう。
必要以上の愛嬌に押し潰される前に、
ほんとの笑顔が消えちゃう前に、
どうか、愛嬌にこだわらない、嫌われることを恐れない時間を過ごせますように。
ここまで、ご覧いただき、ありがとうございます。
みさきの世界で、少しでも共感や安心を届けられますように。
みさき