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ミニマリスト

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#幸せ

人がいやいやながらいる処は、彼にとっては牢獄である。

私が高校生の時に『陰キャ』と『陽キャ』という言葉が流行った。 それぞれ『陰キャラ』と『陽キャラ』の略である。 陰キャというのは、人と群れるのが嫌いだったり、一人でいても平気だったり、もしくはコミュニケーションが苦手だったりという人。 一方で人といるのが好きで、たくさん人がいれば楽しいと思うのが陽キャだ。 私はどっち側だったのかと言うと、完全に陰キャだった。 別にクラスに友達はいたけど、休憩時間に友達と特段話すことがなければ、本を読む方を選んでた。 でも世間的や、親

私はなぜミニマリストに憧れたのだろう。

私がミニマリストになったのは、高校三年生の受験期だった。 その頃からモノを捨て始めたのは覚えているが、なぜ始めたのかははっきりと覚えていない。 ミニマリストしぶさんの動画を見たのがきっかけだったような記憶もあるが、 どの動画か、なぜ感銘を受けたのかが分からない。 これほど人生の方向性が変わったのだから、覚えていてもいいものだとは思うのだが。 他にも、私が心を惹かれるものはいくつかある。 例えば道教、老子の思想について最近勉強している。 代表的な言葉として、「足るを

『人生の3分の1を損なわないために』 幸せって何だ ①セロトニン編【睡眠】

以前、『幸せって何だ。』という記事を書いた。 要約すると、 という内容だ。 ということで今回から、実際に皆さんが幸せに生きるために必要なステップを1つずつ歩んでいきたいと思う。 先ほども申し上げた通り、一番の土台となるのは健康によるセロトニンだ。 健康というのは「睡眠」「食事」「運動」の三つによって成り立っている。 今回はその中でも睡眠に焦点を当てて話していく。 「睡眠が大切」なんて小学生でも知っていることだが、それでも日本人は睡眠をないがしろにしやすい。 「

どんな車も家も、あの雲ほどには美しくなく、

新しいモノを買って興奮しても、しばらく経てば不安と焦燥感に苛まれる。 その頻度で買い物を続けてしまうこと、そのために稼ぎ続けなければいけない期間が増えること。 それに対する不安だ。 自分の欲を操縦できないことは最大の不安だ。人に嫌われるよりもよっぽど酷い。 食欲も同じだ。お腹の空いていないお昼時、美味しそうだからと言ってお金を払って何かを食べて。 食べている間は確かに楽しい。 いや、ただ興奮状態にあるだけかもしれない。 そのくらいなら、空腹を忍びながら叢に寝転がって

『これさえあれば私は幸せなのだ』

漠然とした不安というのはどうして生まれるのだろうか。 将来というのは常に不確実なものだ。 私は4月からとある企業に内定を頂いているが、その企業に本当に行けるかは分からない。 それまでに犯罪を犯したり、大学を卒業できなければお釈迦だ。 また、現代は実に大量の情報が入ってくる。 『○○社が倒産』 『○○地方で地震』 『○○地域で戦争勃発』 こんなニュースが毎日のように入ってくる。 現代の1日の情報量は江戸時代の1年分と言われるほどだ。 これは私の想像ではあるが、人間の脳

『成し遂げたいことなんてないから、幸せになりたい』

私の友人に、何にでも参加し、すぐに挑戦する方がいる。 常に何かに熱中している。 そんな友人を見て、素直に「すごいなぁ」と思うと同時に、 「私にはできない」と思う。 また、私はYoutubeでも読書でも、ビジネス系のコンテンツを結構見ている。 その方々も、現在進行形で挑戦している人たちばかりだ。 やはり「すごいなぁ」とも思うし、「私にはできない」と思う。 それほど熱中できることもないし、極めたいと思うこともない。 そんな方々は、常に「挑戦しろ、努力しろ」というメッセージ

幸せって何だ。

幸せについて時々考える。 私自身、「幸せか」と聞かれれば、間違いなく幸せである。 ただ、日本の幸福度が先進国でかなり下位であることを考えると、幸せではない方が多いようだ。 そもそも、幸せとは何だろうか。 曖昧ではあるものの、「恵まれている」「不平を感じない」「満足できている」ことが幸せであるらしい。 日本で生きている限り、恵まれていないとは言えない。 飲料水の清潔さ、食料の豊富さ、医療福祉の発達の面から見ても、日本ほど恵まれている国は少ない。 それでも、幸福度が下位

『生産的』に蝕まれることなかれ

「生産性」という言葉がある。 「なんとなく、心や体にいいこと」という意味でよく使われている。 デジタル大事泉によると、 であるという。 1の方は、農業をしたりものづくりをしたりという意味なので、ここでは違う。 2の意味で、YoutubeやらSNSやらで取り上げられているのをよく見る。 私は大学生になってから、この「生産性」に半ば依存してきた。 朝起きたらプロテインを飲んで散歩。冷水シャワーを浴びて瞑想。 筋トレ、ブログなど、 「何かやるなら意味のあることを」と思っ

自己肯定感を上げるnoteの小さな習慣

私にはnoteをやっていて嬉しい瞬間がいくつかあります。 その中でも、 ・記事のスキの数が多いとき ・コメントを頂いたとき ・フォロワーが増えたとき というのは特に嬉しいです。 つまり、noteの件数が溜まっている時が嬉しいのです。 そして、私がnoteを見なければならないのは1日に2回。 朝、noteをアップするときと、 夕方に、noteの下書きをする時だけです。 ですが、実際には今日の記事がどれだけ伸びたか気になって、何度も見てしまいます。 ポイント

歩行瞑想のすゝめ

少し前に、某Google社が実践しているとかで、大流行した瞑想。 瞑想にはストレス解消や集中力を高めたり、 自己肯定感を挙げたり収入が上がったり彼女が出来たりなどの効果が期待されています。 私も何度か習慣にしようとしてきましたが、たびたび失敗してきました。 「座ってじっとしている」というのは、なかなか習慣にし難いものです。 また、懸念もありました。 座っている時間が長いほど、血流が滞って血圧が上昇したり、炎症が出やすくなる、という話もあるためです。 健康のためやっ

トラブルのほとんどは、あなたのせいではない。

私は、少々哲学が好きだ。 「どうやって人は生きるべきか」と考える学問が、 最も直接的に人間の幸福に貢献しているようで面白い。 その中で、私の好きな概念がある。 「アテレー」だ。 アテレーを唱えたのは、かのソクラテス。 「無知の知」で有名なお方だ。 アテレーに関する例を挙げよう。 包丁にとってのアテレーは「よく切れること」 馬にとってのアテレーは「早く走ること」 というように、 そのものにとっての役割を最大限に果たすには、どうあるべきか? というのがアテレ

生活に幸せを増やす3ステップ

さて、前回「不満を取り除く3ステップ」という記事を書きました。 幸せには「不満を取り除く」段階と、「幸せを増やす」段階がある。 今回は「幸せを増やす」段階です。 と言っても、方法はほぼ前回と同じですが。 幸せに必要なのは、考えることです。 幸せになるために、自分の行動をどう変えるのか考えるのです。 ①自分が幸せになれる領域を見つける 今回のここが最も難関だと思います。 自分が幸せになる領域。 例えば、「子どもがテストで良い点を取ってくること」や、 「スイーツを

不満を取り除く3ステップ

仕事にやりがいがない、家族関係が良くない、自分に自身が持てない、、。 人生に不満を抱える方は多くいるでしょう。 「地獄とは他人のことである」という言葉があるように、 直接的間接的問わず、多くの人と関わる私たちは、 他人から大量にストレスを受けます。 だから人生で幸せになるのは難しい。 、、、本当に? 誰もが幸せになりたいと願っているのに、 本当に幸せになるのは難しいのでしょうか? 前回、「幸せには努力が必要」という記事を書きました。 そう、努力が必要なので

幸せに努力は不可欠

私たち人間は、皆んな幸せになろうとして生きている。 自己犠牲や奉仕活動だって、幸せになるための行動である。 そう、皆んな幸せになりたいのだ。 ではどうして、幸せでない人がいるのだろうか? 仕事が嫌いな人、自分の身体に自身が持てない人、家族に不満がある人、、。 もしも、この世にあなたが一人だけ存在するなら、簡単に幸せになれるだろう。 好きなものを食べて、好きな場所に住んで、好きに歌を歌って生きればいい。 だが、2人、10人、100人とコミュニティ(人と人との関わり