私はなぜミニマリストに憧れたのだろう。
私がミニマリストになったのは、高校三年生の受験期だった。
その頃からモノを捨て始めたのは覚えているが、なぜ始めたのかははっきりと覚えていない。
ミニマリストしぶさんの動画を見たのがきっかけだったような記憶もあるが、
どの動画か、なぜ感銘を受けたのかが分からない。
これほど人生の方向性が変わったのだから、覚えていてもいいものだとは思うのだが。
他にも、私が心を惹かれるものはいくつかある。
例えば道教、老子の思想について最近勉強している。
代表的な言葉として、「足るを知る(知足)」というのがある、
あの道教だ。
他にも、禅僧にも惹かれる。
自分の欲を取り除き、最小限のモノで生きながら、ただ座禅をする。
私の高校は仏教学校で、週一で「宗教」の授業があったのだが、
他の生徒が退屈そうにしている中、私だけは目を輝かせていた。
ほかの教科でもその集中力と好奇心を発揮できればよかったのだが。
他にも、高村友也さんという方のBライフという生き方
(どれだけ寝ても文句を言われない空間を作るために格安で土地を買って小屋を立てる)や、
大原扁理さんの(出費を最低限に抑えながら、お金を使わない悠々自適な時間を過ごす)生き方など、
「人が設定した『楽しみ』ではなく、
自分が幸せになるために最低限必要なモノを見極める生き方」に惹かれる。
これはなぜだろうか。
人があるカテゴリーにハマる手順には2パターン存在する。
①子供のころ好きだったものをそのまま好きなパターン
②子供の頃のコンプレックス、ネガティブな記憶をひっくり返してハマるパターン
なにか思い当たる節があっただろうか。
①の場合だが、子供のころ、禅僧だとかそういったものが好きだった記憶はない。
では、②のネガティブな記憶だとどうだろうか。
子供の頃の私は大変な収集家だった。
幼稚園生の頃はトーマスのプラレールを集め、
小学生の頃はベイブレードと爆丸を集め、
中高生では文房具を大量に集めた。
覚えているのは、初めてベイブレード(コマのおもちゃ)を買ってもらった時のことだ。
小学生で塾に通っていた私は、「テストで○○点以上取ったら買って」と約束した。
結局その点数を取れたか取れていないかは覚えていないが、買ってもらうことができた。
その時は、泣くほどに嬉しかったのだ。
だが、子どもの性なのだろう、しばらくすれば新しいのが欲しくなる。
なのに、どこまで集めても満たされることは無く、逆に持っていないモノにしか目がいかない。
手に入れるほどに、新しい一個を手に入れる感動は薄れていく。
これを高校の終わりまで気づくことができなかったのだ。
もし早くに気付けていたら、一体いくら節約することができたのだろうか。
もしかすると今、ミニマリズムや道教、禅僧に惹かれるのは、
そのいくら手に入れても満たされないことによる焦り・不安の記憶の裏返しなのではないだろうか。
ベイブレードも、文房具も好きなのはいいかもしれない。
だが、初めの一つ、もしくは最高の一つだけを手に入れて、それで満足すればよかったのだ。
ミニマリストにハマったきっかけをまとめると、
「子供の頃から収集癖があったが、いくら集めても満たされないことに嫌気がさしていた頃に、ミニマリストの動画と出会ったから」となるのだろう。
ミニマリストになってから、「なんでミニマリストになったの?」と聞かれてきたが、明確な答えがなかった。
やっと答えを導き出せた。ああ、すっきりした。
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