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河内長野木戸町探訪4 ~寺ヶ池は木戸町?~

 シリーズで行っている河内長野木戸町探訪。破片のように散らばっている木戸町をめぐる第四弾は、今回が最終回です。前回の第三弾はこちらをご覧ください。

 さて、木戸町の位置をあらためて地図で見ると、このように本当に破片で散らばっています。このうち南海高野線の東側は終わりました。残りは西側で、それは寺ヶ池公園の一部が該当します。

木戸町z

 番号の①と②の部分が木戸町。公園がすべてではなくここもなぜか破片のように木戸町の場所とそうでない場所があります。ちなみに公園管理事務所は、小山田町にあります。

木戸町zz

 拡大するとこうなりました。見れば見るほど不思議な状況で、木戸町が残されています。

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 これは実際に公園内にある案内図ですが、後から丸と番号を付けました。上の地図は、おおよそこの丸のイメージとなります。

 と言うわけで、寺ヶ池公園内にある木戸町を見てきました。

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 最初に①の部分を見てみましょう。この位置から見て池の上の部分が該当します。

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 こちらの地図では、ちょうどアイリスの谷と呼ばれているところが木戸町。そこから右側にある四季の広場は小山田町になります。

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 実際に見たアイリスの谷です。ちょうど雨上がりだったので地面が濡れていました。ちなみに東屋のようなものが見えますが、そこにはこの公園にやってくる野鳥の写真が貼っています。それについてはこちら。

別の角度からも撮ってみます。

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 ここは菖蒲園になっていて、五月ごろにはキショウブが咲きそろっていました。それはこちらで見られます。

 この時期はもうショウブは生えていません。

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 ただし、このように水が菖蒲園に流れ込んでいて、そのまま池に流れています。

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 この水路の先に行くと、もう木戸町ではなく小山田町になりますので、次のスポット②に行きましょう。

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 ②はいわゆる弁天山公園とその周辺。ここにあった寺ヶ池鎮守と言う存在から実はこの辺りだけが木戸町と言うことが判明します。つまりこの調査をするきっかけとなりました。

 鎮守は奥にありますが、手前は児童公園のようになっています。このあたりは木戸町。

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 ところで寺ヶ池鎮守及び寺ヶ池を管理している水利組合のについては、こちらにまとめました。

 実はGoogleの地図では弁天山公園から北に続く遊歩道も木戸町で、最終的には、池の北側の堰止め口のあたりも木戸町と表記されていました。その木戸町とされる北の堰止め口から南に広がる池はこのようになっています。

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 さて公園は池だけではなく周辺の施設なども含まれているので、木戸町の他に小山田町や千代田台町などが含まれている状況。では池自体はどこの所属かとなりますが、Wikipediaを見る限りは池自体は木戸町のようでした。

寺ヶ池

 木戸町は前回の記事で、木戸1~3丁目、木戸東町、木戸西町、千代田南町に分かれたということを書きました。そこをすべてまとめても、実は千代田台町や原町、南貴望が丘と言った町が間に複雑に入り込んでいて、寺ヶ池とは離れています。
 はっきりと書いていないのでわかりませんが、河内長野で一番最初にニュータウンとして住宅が建てられたという。千代田台町や南貴望が丘あたり。実は元木戸町ではとさえ思います。

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 いずれにせよ、破片のようになっている木戸町。現存する中で一番の大きな面積を持っているのが寺ヶ池と言うことになりますね。

 ということで、上のリンク先から始まった、河内長野木戸町の謎シリーズはこれで終わりです。非常にマニアックな内容でしたが、最後までご覧いただきありがとうございました。

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