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興禅寺 ~新興住宅地の隣にある奈良時代からの歴史ある禅寺と圧倒的な羅漢像~

 昨日紹介した美加の台を含め、河内長野は昭和の戦後以降に、山を造成して新興住宅地がいくつもできました。
 そして地図上で平面的に見ると、その新興住宅地が古い集落ごと侵食しているように見えるので、隙間のような谷にある古い集落や自然の雰囲気がどうなっているのか気になります。
 しかし実際に行くとそれらの住宅地が高台にあるので、住宅地は意外に目立ちません。

 つまり住宅地から一歩離れると、今まで通りの自然しか見えないから散歩していても違和感なく楽しめます。そして美加の台のすぐ隣にあった興禅寺もそのひとつ。ここは美加の台ができる遥か昔、奈良時代から存在していました。

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 美加の台の住宅地から興禅寺に通じる道。右側は造成した場所らしく、整備されているのがわかります。

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 しかしいよいよ寺院の前に来ると、風景が一変したような気がします。寺の背景は、緑の山に覆われていました。

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 曹洞宗の仏教寺院でもある興禅寺に入ります。実を言うとたまたま美加の台に来たから立ち寄ってみたというだけなので、この寺院に関する事前に知っている情報はほぼなし。
 だから門には色とすると、遠くに見える像の存在にいきなり圧倒されました。

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 入口にはこういう像があります。これは釈迦の誕生を祝っているようなもののようでした。

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 寺院そのものには、非常に古い歴史がありました。だけど門をはじめ、結構最近に作られたものが数多くあるようです。

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 そして入り口から見えていた像の前に来ました。実は真ん中に蓮池があり、それを囲むように鎮座しています。

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 真正面から撮影しました。中央に「羅漢」と書いてありますが、この像は羅漢像のようです。

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 そしてひとつひとつ表情の違う羅漢像。そもそも羅漢という言葉は知っていましたが、いったい何者かわかっていません。だから調べました。引用します。

サンスクリットarhatの音写〈阿羅漢〉の略称。応供(おうぐ)とも。煩悩をすべて断滅して最高の境地に達した人。狭義には小乗の悟りを得た最高の聖者をさし,その修行の段階を阿羅漢向,到達した境を阿羅漢果という。小乗仏教では仏弟子の最高位とされるが,大乗仏教では衆生の救済を目ざす菩薩の下におかれる。 
引用元:コトバンク「https://kotobank.jp/word/%E7%BE%85%E6%BC%A2-146966」

 ということで、高いレベルの仏の弟子と言うことのようです。

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 拡大しました。表情を見るとどことなくインド人ぽく見えます。なるほど仏教がインド発祥だから、初期のころの高弟子たちもインド人なんですね。

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 羅漢石仏についての説明文を発見。引用してみましょう。

羅漢石佛
興禅寺の創建は、神護景雲元年(西暦七百六十七年)奈良時代後期、
行基菩薩により開かれ、元禄十二年(禅宗)曹洞宗となる。創建当時に植えられた蓮が現代の斑蓮で、全国でも数ヶ所にしか残されていない貴重な種類の蓮である。蓮池の周りに石佛が、お祭りされているのが羅漢像で、羅漢佛とし、梵名はアラハと読み阿羅漢のことで、殺賊、または応倶不生と訳され、殺賊は煩悩の賊を殺し、応倶不生は、天人最高の供養を受け、生死の苦患を受けぬという意味を持っている。お釈迦様のお弟子の中で正法護持のため実在した最も優れた修行者達を選んだとも言われている。
禅宗寺院での羅漢佛とは、禅の思想が生んだ理想的人間像で、施しい禅の修行の反面、自由精神の現れで解脱をめざす永遠の修行者、超俗の佛ではなく、在俗の陰影を宿した姿が羅漢佛として山門等に十六羅漢、五百羅漢が祭られております。この羅漢石佛を五十一体、篤志者の協力をへて池の周りに奉納配置を記念し此を記す

 こちらは、この羅漢像を作るための寄付金を提供した人の一覧です。信仰の高さがうかがえますね。

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 さて、羅漢像が囲っているのが蓮池です。説明文によれば全国でも珍しい蓮の池とか。花の咲く季節とずれてしまったのが残念です。

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 蓮の花は見れませんでしたが、蓮の葉は一面を覆っていました。

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 蓮の池から奥に行ってみましょう。

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 こちらが本堂です。さらに奥がありました。

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 上につづく道があり、釈迦の十大弟子というひとの像が並んでいます。

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 これを上って行くと、やがて展望台のようなところに行き当たります。

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展望台の所にも大きな仏像が立っていました。

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 ここが一番高いところです。そして反対方向を見ると。

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 このように風景が見えます。ただ天気が悪い日というのが残念でした。

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 結構いろんな石像があります。仏教の信仰を差し引いても、アート作品のように見ても良いのではと思いました。

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 姿見の井戸と言うのがあります。

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姿見の井戸
往時三日市が宿場町として栄えた頃、其地で働く人々がお参りをする時、髪を梳き、口を灌ぎ、手を洗い、水鏡に身体を写し心身を整え参拝したと言われる。
 当時の井戸は現在の場所より、北西約百米先に有りましたが、昭和六十年に此の地に移し復元致しました。井戸水は今も浄水を渾々と湛えていますが、安全を考慮し今は蓋をしております。
興禅寺

 引用して気づきましたが、昭和60年に100メートルほど移転して復元したとか、今の水は安全を考慮して使えないように蓋をしているとかはちょっと気になります。どう考えても美加の台の造成と無縁とは言えませんね。

 ということで、興禅寺に行ってきました。実はこの寺とセットのように存在している赤坂上之山神社があります。それについては後日また紹介しましょう。

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