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在りし日の 銭湯跡を 晩秋に 入る想像 心温か

「寒い、もう冬だ」そう思った。けどまだ11月で、紅葉がようやく綺麗になっているというのにである。「ああ、秋はもうなくなったのか」と、11月の別名が苗字でもある霜月は思った。

ふと、目の前に煙突が見える。「これは!」と思い、正面に回ったが、それを見てがっかりした。銭湯や温泉が好きな霜月にとって、煙突を見た時にここには銭湯があると確信した。だが回って銭湯の入り口があるかなと思ったが、すでに閉まっていたのだ。
「タオルは借りられるからな」もし銭湯が営業していたら間違いなく霜月は入り口の暖簾をくぐっていたはずである。これまでもそうやって見つけた銭湯に入ることが多い。

だが、もはや閉鎖したであろう銭湯跡が前でにあるだけだ。もうこの銭湯の風呂に入ることはできない。普通の人なら途端に猫背になって体を震わせながらその場を後にしただろう。だが霜月は違った。無ければ無しで頭の中で銭湯に入る想像をするのだ。

想像だから、本当に目の前の銭湯がそんな光景である保証はない。霜月が過去に入った膨大な数の銭湯の記憶をつなぎ合わせて行われる疑似体験である。番台にお金を払いタオルを借りて脱衣所へ。四角い脱衣所で服を入れてすぐに銭湯へ向かう。さあ、かかり湯を済ませると風呂に入る。ジャグジーなどはあまり興味がない。入るべきはノーマルな銭湯の湯舟。中央にあり深めで熱い湯だ。「これに限る」と、霜月は最初にその湯舟を目指した。かかり湯をしても冷えた体である。芯まで温まっていないから深い湯に入れば、熱くてたまらない。だがここが辛抱のしどころ。両足を入れるとそのままゆっくりと体を沈める。足から腰、そしておなかと体を降下させていく。湯の熱さが皮膚を伝って体にに感知した。それでも我慢すると不思議なもの、足から徐々に熱さに対応するのか、「熱い」という感覚が鈍るのだ。

こうして気が付けば肩まで湯につかっていた。確かに熱いが、銭湯好きにはたまらない熱さ。2・3分ほど入ると立ち上がるように体を上に。肩まで入っていた湯は一気に腰のあたりまで下がる。長湯は行わずそのまま、いったん湯船を出た。そして感じるのは芯まで体が温まったこと。こうして次に外に出るときには心身ともポカポカした中、家に帰ることになるだろう。

けれどすべては想像の世界だ。想像の世界から我に戻って現実世界になる。途端に全身に寒風が襲ってきたのだ。

在りし日の 銭湯跡を 晩秋に 入る想像 心温か
(ありしひの せんとうあとを ばんしゅうに はいるそうぞう こころあたたか)

本日の記事「河内長野最後の銭湯跡」を参考にしました。

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