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アトリエ

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シリーズもの以外の創作を集めました。帰りの電車に揺られながら、眠る前に……ちょうどいいようなお話を揃えていきます。
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創作:夕焼けと海と黒の鱗

創作:夕焼けと海と黒の鱗

「大事な存在って、こんなに怖いものなんだな」

青く短い髪の彼がこちらを向いて言う。
夕暮れのひとときだけ空に現れる紫を閉じ込めたような、切れ長の瞳がきれいだった。

ぽたん、ぽちゃん。
足元のコンクリートの壁に緩やかな波があたる音だ。生温い空気が海の匂いを運んでくる、ここは「釣れない」ことで有名なスポット。
まだこの町に移り住んで浅い青年は、仕事を終えて逃げるようにここへ来ていた。もうすぐ宵がく

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創作【最後の涙を流すとき】

創作【最後の涙を流すとき】

黒猫の友人は、少し気弱だけどとても優しい青年だった。自然に囲まれ佇む水色の屋根の小さな家で、共に住んでいる。
木枠の窓が多くてあたたかな白い日差しの昼と、埃みたいな星がひろがる夜空の下でランタンやキャンドルを灯して過ごす夜。
猫はどちらもだいすきだった。

キッチン横にある出窓の台にお気に入りのスローを置いてくれて、最近はここで日向ぼっこをする時間が多くなっている。
正午を過ぎた頃。青年が作業部屋

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創作『虹を見た日』

創作『虹を見た日』

「ねえニゼル、もうどこにも行かない?」

子供のような話し方に、少しだけ掠れたようなカナリの声。ニゼルは自身の肉球で彼女のふわふわのほっぺたを包んで、整った目元にシワを寄せて微笑んだ。

「うん。どこにも行かない」

それは誓いだった。

雨上がりの朝のシテ島。湿気が毛並みとヒゲをいじくるけれど、今はあんまり感覚もない。
こんな時間だからか他の誰もいないサント・シャペル。その隅っこの壁に身を寄せ合

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創作『夜のテラスのテーブルで』

創作『夜のテラスのテーブルで』

「レセダ、わたし腕時計がほしい」
わたしが彼にした、最初で最後のおねだりだった。

脚がアイアンの四角い小さな木製テーブルと、ちょっと違うデティールで風合いを合わせたようなチェア。わたしたちはいつものビストロのこの席でいつものように食事を軽く済ませて、今は後で注文したモカを待っている。
周りも程よく賑わう夜。店内からの灯りと外のランタンが、石畳をほのかに照らしていた。風は涼しくて、だけど爽やかな甘

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創作『僕が本当に居たい場所』

創作『僕が本当に居たい場所』

「もしも僕が猫だったら、ナディはいっしょに暮らしてくれる?」
職場から帰路につく路面電車の中で、手元の液晶を眺めながらベルが言った。
雨が降るのはこの町にとっては日常で、窓の外では曇天の下に色とりどりの傘が浮かぶ。チームメイトたちとも別れて、ナディとベルが1人分の距離を空けて座る、電車の中。
「、ねこ?」
「そう、猫ちゃん」
このひとがよくわからないことを言うのは日常茶飯事で、適当に受け流しても良

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創作『道に迷ったら』

創作『道に迷ったら』

わたしは出口がわからないまま、足を止めることもできずに森の中の道を歩いていた。
背の高い木が、上のほうでカサカサと葉を揺らす。風がそっと吹いて行く方に、なんとなくで小さな歩幅を重ねていた。
時間はわからないけれど、この細い道を外れれば青と黒を厚く重ねたみたいなぼんやりした闇で、なんだか絵本の中にいるみたいだなと思った。

わたしはどこにたどり着きたいのかもわからなかった。
ただ途方もない森があって

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創作『ゆうひに会えるブランコ』

創作『ゆうひに会えるブランコ』

「ねえ、ユウヒ。今日のわたしは何色かな」
夕日がたずねる。高台にあるブランコに乗る少年に。

少年は木で作られたひとりがけのブランコに座って、いつも揺られている。賑わう町から少し外れた小山の坂と階段を登った先には、少し開けたところがあって、芝や小さな花が生えている。
そこにぽつんとあるひとつだけのブランコからは、町の店や家々と、流れる川と田畑が見渡せた。ちらほら菜花の黄色が見えるけれど、ユウヒが見

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創作『月夜と銀のうろこ』

創作『月夜と銀のうろこ』

港町も近くの森も深い眠りにつく頃、黒猫のコガネは小さな灯台のふもとにいた。
「今日こそ、銀の魚をみるんだ」
しししとほころぶ口元を、両手の肉球で隠す。できるだけ静かにしていないと。だけどやっぱりわくわくが止まらなくてもう一度笑いがこぼれそうになったとき、背後から声がした。

「コガネ」
「にゃ゙っ」
びっくりして短い毛がぶわっと逆立つ。灯台の影から近づいてきたのは、港町の人から「おもち」と呼ばれて

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