『十二単衣を着た悪魔 源氏物語異聞』 感想
内館牧子 作 『十二単衣を着た悪魔』。
この作品では、主に弘徽殿の女御目線で源氏物語が語られる。
私のように『源氏物語』を読んだことがある人は、光源氏やその子供たちが注目されている源氏物語を読んだことがある人は、この物語のテンポの良さと新鮮さが面白いだろう。ここ最近で読んだ本の中で、1番ページをめくる手が止まらなかったと言っても過言ではない。
主人公は落ちこぼれ。出来損ない。そんな風に自分のことを卑下していた時、平安時代にタイムスリップする。
そして出会ったのが、弘徽殿の女御とその息子、つまりやがて朱雀帝となる子供だ。
弘徽殿の女御の気持ちを、どんな人だったかを、源氏物語を読んでいる中であまり考えたことはなかった。
源氏物語で注目されるのは、光源氏の父桐壺帝。母桐壺の更衣。そして藤壺(中宮)。紫の上。明石の君。葵の上。夕霧。六条御息所。冷泉帝。
いわゆる「光源氏と親しかった」人間である。
弘徽殿の女御や朱雀帝のことを、単なる「悪役」と思っていた部分が少なからずあった。したたかな人たちだと思っていた。
だがこの本を読むと、見方が変わる。2人が抱えていた光る君への感情。桐壺帝への感情。朧月夜の君への感情。
『源氏物語』を読んだからこそ楽しめる面白さが、ここには確かに存在している。
それに加えて、平安時代で陰陽師として重宝される主人公が、現実世界と平安時代の世界を比べて考えていることもおもしろい。主人公は現実世界で、あまりになんでもできてしまう弟に劣等感を感じていた。だからこそ、兄朱雀帝が弟光る君に抱く気持ちが、否応無しに心に響く部分があったのだろう。
266ページより(朱雀帝の言葉)
「生きていれば、悪にも善にも直面することがある。悪は恐ろしい毒であり、善は清らかな薬だ。」
心に毒を持つ者もいれば、信念として毒を拒み、薬だけを飲む者もいる。
(主人公の言葉)
「(略)自分で毒を飲む度胸はないのに、毒を飲める人間の目を気にする。(略)薬を飲むのは正論しか通じない人間のようで、そう思われたくない。そのくせ、薬だけを飲む潔さもない。堂々と薬だけを飲んで、正面から毒と渡りあえばいいものを、その自信もない。(略)」
あなたは毒と薬、どちらを飲む人間ですか。
私自身はきっと、両方を飲む人間なのだろう。
弘徽殿の女御は強くて、潔い。女が幸せな人生を勝ち取るために必要なものを「決断力と胆力」と言い切れる彼女がかっこよく見えた。平安時代における普通の一般的な女の幸せを手に入れなくても、"1人の人間として自分は幸せだった"と言う事ができる彼女に対するイメージが、かなり良いものに変わったのは間違いない。
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この物語で1番印象に残った言葉。
368ページより(主人公の言葉(光源氏の受け売り))
「学問は人間の背骨だ。親に死なれても何があっても、背骨があれば自信を持って生きていける。自身を持って生きていく人間を、誰も軽く見ない。」
学問を身につける事ができた!と思える日は死ぬまで来ないかもしれないけれど、ただ学んできたことを糧にして、背負って、背筋を伸ばして生きていく事ができたら良いなぁと、漠然と思った。