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きっと、いろんな人を傷つけてきた


いまはだいぶ丸くなったと思うけど、わたしは結構気が強い。我が強い、ともいえる。
さらに思ったことをわりと口に出してしまう上に、口が悪かった。


こう書いてみると、なかなかやばそうなやつである。
いや、実際やばいやつだったのかもしれない。



仲良くなる周りの友達も同じくらい気が強く、
そして口が悪い子が多かった。
そんな風ではあるけれど
わたしはそういう自分も、友達のことも好きだった。
むしろハッキリ言ってもらって、
「なるほどね〜そういう考えがあるんだね。」
と気づけたり
ちょっとしたいじりやディスりみたいのも
「いや、いじりすぎだからね?!」
などとお互いに爆笑できる関係性で、
自分の気の強さや口の悪さが、そんなに悪いことだとも思わなかった。


だけど思い返すと、わたしのこういった性格は
いろんな人を傷つけてきただろうな、と思う。



昔の恋人や、不仲になった家族によく言われた。
「mimiはいつも自分が正しいって言い方をする」

当時そんなつもりはなかったけれど
思い返すと、たしかにそうだった。
たとえば
「それっておかしくない?こうするべきでしょ。」とか言ってしまったり
「別れた方がよくない?」と、すぐに結論を出そうとしたり。



そんなわたしが少しはやさしくなれたというか、ちゃんと人の気持ちを考えられるようになれたのは、やっぱり夫と出会ってからだと思う。


夫はやさしい。
自分の意見を押し付けることはしないし
人を傷つけるようないじりも絶対にしない。
いつだって、人の気持ちを考えられる人。


そんな夫と付き合って少ししてから言われたことを覚えてる。
「mimiちゃんは、意識が高いね。」

たしか、これから仕事を頑張りたい!と転職活動をする向上心のあるわたしを見て、そう言ってくれたのだと思う。
だけどなんとなく、夫の言い方が
「意識高くていいね!」というより
「自分はついていけないかも、疲れちゃうかも」
というニュアンスがあるように思えた。



夫とわたしは、仕事に対する考え方が違う。
夫は仕事を、お金を稼ぐ、生きるための手段だと思っていて
わたしは仕事を、人生の大部分を占めるものだから、やり甲斐のあることがしたい。と思ってる。
どちらが正しいとかはなく、ただ考えが違うというだけ。


そんな違いがあるこの人に、これまでのように
「こうするべきでしょ。」
という言い方をしたら、もしかしたら離れてしまうかもしれない。別れてしまうかもしれない。
そう思ったことを覚えてる。

そしてこのまま自分の考えと違う人を否定したり、自分が正しいと思い込みすぎると
どんどん自分の考えも視野も狭くなる。
そういう人が人として魅力的だとは思わなかったし、そんな自分でいたら周りからどんどん人がいなくなるんじゃないか、と思うようになった。



夫と出会って、付き合って
自分と人は違う。と理解して
せっかく好きで付き合えたなら、違うことも受け入れていきたい。
そう思うようになったのだ。




付き合いたてのときは少し不満があった。
夫はやさしいけれど
あまりリードはしてくれないし、
すぐに弱音を吐くところがある。
昔のわたしなら、そういう夫に対して
なんでいつも受け身なの?とか
根性ないな〜とイライラしただろうし、
自分の意見を押し付けたと思う。
(そもそも昔のわたしなら、こういう夫と付き合ってすらいなかったかもしれない)


だけど自分と相手は違う、と理解しようとしたので
だんだん夫に寄り添えるようになり
むしろ不満に感じたそれらの部分も
夫の良い面だとすら思えるようになった。


我が強いわたしは、夫の受け身なところに助けられているところもある。
たとえば行き先に悩んだとき、わたしが行きたいというお店にすんなり決まるし、
夫が弱音を吐く分、わたしも弱音を吐きやすくなった。
こんなことで疲れてちゃいけない。
頑張らなきゃいけない。
と自分を追い込みがちなわたしにとって
「頑張らなくていいんだよ。」
と言ってくれる夫やその考えに
たくさん救われることがあると知った。
夫に対してたくさん
ありがとう。と思うようになった。


当時はそんなつもりはなかったけれど
わたしは夫と出会うまで、どこか人に期待していたのかもしれない。
だから自分の意見と違うと、思った通りの行動ではないと
「それは違くない?」と相手が変わることを求めたのだと思う。
なんて傲慢だったのだろう。と思う。



夫と出会い、やさしくされるたびに
『自分ってひどい言い方してたかも。』
と思ったし、自分を恥ずかしいと思った。
きっといろんな人を傷つけた。
だからこそ、夫みたいにやさしくなりたいと思った。


いまの自分が夫のようにやさしくなれているかはわからない。
いまだって恐らく、気も強いし我も強い。
けれどそれを表に出さなくなったとは思う。
自分の意見を押し付けることはしないし
そういう考えもあるんだなあ、と思う。
人をいじることもなくなったし、汚い言葉遣いもしなくなった。


そしてやさしい夫がわたしを
「mimiちゃんは天使だ。本当にやさしい。」
と言ってくれるから
まあまあやさしくいられているのではないかと思う。
あなたのおかげなんです。
いつも本当にありがとう。



やさしさって何を持ってやさしさというのかはわからないけれど
人の気持ちを考えられるってことかもしれないと思う。


人の気持ちを考えるってことは相手を尊重するってことだ。
べつに何でもかんでも肯定しなくていいし、受け入れなくていいし、すべての意見に寄り添う必要もないけれど
自分は自分で、人は人なのだから。
そう感じる人もいるんだな。
自分と人は違うんだな。って知っておくことは
やさしさや思いやりに繋がるんじゃないかと思う。
『自分はそう言われても傷つかないから
言っていい。』ではなくて。


いまのわたしは人間関係を築く上で、正しい正しくないよりも、目の前の相手を尊重することの方が大切だと思ってる。
そもそも人によって何が正しいも正しくないも違うわけで、結局のところ正しい意見なんてないとすら思うのだ。


ちなみにnoteをはじめて、自分と違う考えにたくさん触れたことでも
こう感じる人がいるんだ。
こう考える人がいるんだ。
こう言うと傷つく人がいるんだ。
と知り、前よりも自分の言動に気をつけるようになった。

わたしが少しは人の気持ちを考えられるようになったのは、noteのおかげでもあるんです。
ありがとうございます。
本当に、やっててよかったなあ、と思う。


これまでの自分の言動を思い返すと恥ずかしいことがたくさんあるし
それによって傷ついた人がいるだろう
と思うと心が痛い。

ああ言わなきゃよかったなあ。
そう思ったりもするけれど、
人はそうやって気づいて、大人になっていくのかもしれない。



これまでのことはどうしようもないけれど
せめて、これから出会う人は傷つけないようにしたい。
noteでもなるべくは、誰かを傷つけるようなことは書きたくないと思ってる。
不特定多数の人が見るものだから全員なんて無理だけど
それでも
相手を傷つけたくない。
そう思っているだけで、少しはやさしくいられる気がするよ。





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