うちの子が可愛すぎて困るんです
※こちらの記事は、アルロンさんの企画「 #うちの子かわいいでしょ 」に参加しています。
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あと数日で4歳になる娘は、まだ言葉が喋れない。
あー、うー、たぁー。形にならない言葉を並べては、けらけらと笑う。
言葉は喋れない分、ジェスチャーは巧みだ。喉が渇くと、冷蔵庫の扉を開けてジュースを取り出し、流し台の前にドスンと置く。
そして、じーっとジュースを眺め続ける。チラチラと、母の顔色を伺う。喉が渇いたから、ジュースをコップに入れて欲しいのである。
「喉が渇いた」
一言が出ない分、行動で必死に思いを伝えようとする娘。そんな娘が健気で、とても可愛いのである。
娘は、パパが帰ってくる時も最高に可愛い。
「パパが帰ってくるよ」と言えば、玄関の前で1人待機。なかなか帰ってこないと、その場でワァーーと泣く。
もちろん「パパはまだ?」とも、上手く言えない。言葉で話せない分、オーバーリアクションで悲しみを伝えようとする。できないことがある分、あの子はいつも一生懸命だ。
いまでも、充分可愛いけれど。いつかはママと呼ばれたい。それにパパのことは、パパと呼んで欲しい。
私は娘に、何度も「ママと言って」と尋ね続けた。親のエゴとは百も承知の上。私のエゴだと思われてもいいから、娘にママと呼ばれたいのだ。
ドラマで小さな子どもが「ママー」と叫ぶシーンを見るたびに、ふぅとため息が出る。
あの子みたいに、娘もそう言ってくれればいいのに。そう思ったのは、一度二度ではない。そして、そんなことを願うのも「隣の芝生は青いみたいな話だろうか」と思うこともしばしば。それでも、辞めることができなかった。
私が「ママは?」と聞くと、娘はその都度「まんまんまんまん」と言う。「ママを指差して」といえば、パパを指すこともしばしば。
時折、我に返る。このまま喋れないままだと、どうやって生きていくのかと。
1人っ子の娘は、いつか1人になる。私が出産したのは、41歳。一緒に過ごせる時間には限りがある。
先のことは考えない。楽しいことを思い浮かべて、その場を濁す。騙し騙しのようなことを、ずっと繰り返している。
ある時。娘が通う療育保育で、先生が一つのパンフレットを渡してくれた。どうも、療育を卒業した生徒が、絵本を描いて大きな賞を取ったらしい。
「○○ちゃん(娘の名前)も、得意を伸ばせられるといいね」
先生はそう言って、ニコニコと笑う。目の先には、赤青黄色のクレヨンでぐるぐると絵を描く娘の姿がある。
色とりどりの丸が描かれたイラストも、親からすればすべて「かわいい」となる。モノが増えて困るけど、なかなか捨てられない。困ったものだ。
娘は、家でもイラストを描いている。
無我夢中に創作活動を楽しむ娘を見て、「もしかしたら」と淡い期待を抱いてしまう。
もちろん、期待し過ぎるのは負担になるからやらないようにしているけれども。まぁ、才能がなくてもあっても。どんなことでもいいから。
楽しいと感じることや、生き甲斐のようなものを少しでも増やしてくれれば。それでいいのかもしれない。
趣味や楽しみごとは、人生が辛い時の支えになる。私も、絵や文章といった趣味で救われた人間の1人だ。
これから先、人生に何が起きるかわからないが。辛くなった時に、立ち上がる力があると人生は少しでも生きやすくなると思う。
娘の「楽しみごと」を増やせるように、親としてサポートを続けられたらいいなと思う。
【余談】
先日、私は美容院へ行くために娘を夫へ預けることに。すると、母がいないのにどうやら気づいたのか。
玄関へ行って靴を履き、ベビーカーを押し始めたらしい。
つくづく、我が娘はやることなすこと可愛過ぎると思う今日この頃なのである。
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