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もしも夫婦ゲンカに『坂本龍馬』を加えたら?

この度は、数ある中からご覧頂き、誠にありがとうございます。


【まえがき】
この記事の内容

『もしも〇〇にこの自己啓発を加えたら』どうなるのか?

※あくまでも『自己啓発ソムリエ 言葉で動く』個人の意見です。
想像を膨らませてお楽しみください。


【夫婦ゲンカのご紹介】

お互いの短所を責め合う夫婦ゲンカ。

今回はこの自己啓発を加えてみましょう。


【加える自己啓発はこちら】

【仲介役を入れると、解決に向かう】

ほんならお互いが強みとするものを出し合ってみるぜよ

坂本龍馬

引用:リーダーは日本史に学べ 武将に学ぶマネジメントの本質34/出版社:ダイヤモンド社/著者:増田 賢作/監修:小和田 哲男

経済連携を仲介して激しい憎しみをやわらげる

幕未、江戸幕府に対抗していた2つの藩がありました。それは長州藩(山口)と薩摩藩(鹿児島)です。もっとも、この2つの藩同士も、とても仲が悪かったのです。

幕末の政治の中心だった京都で、薩摩藩は会津藩とともに陰謀を企て、長州藩を京都から追放した八月十八日の政変(1863年)により、長州藩の恨みを買いました。

そして、長州藩が京都を攻めた禁門の変(1864年)で、京都の市街地に大火を招きつつ、薩摩・会津の両藩が戦を繰り広げ、長州藩を返り討ちにしたのです。

こうした経緯があるため、とくに薩摩藩に対する長州藩の憎しみには、激しいものがありました。

一方で薩摩藩は、長州藩を京都から追い出したものの、江戸幕府が存続する限りは日本をリードできるわけではありません。それどころか、幕府によって薩摩藩が討たれる可能性があるとさえ考えました。

そのため、一度追い落とした長州藩と手を結ぶことを考えるようになったのです。

もちろん、激しく薩摩藩を憎んでいる長州藩に、「京都では悪いことをしました。やっぱり一緒に手を結んで幕府に立ち向かいましょう」などと持ちかけたところで、すんなりと合意を得られるわけがありません。

そこで考えたのが、坂本龍馬が設立した「亀山社中」を活用した薩摩藩と長州藩の経済連携でした。

まず亀山社中は、薩摩藩経由で、長州藩に最新の武器を供与しました。当時、幕府の監視対象となっていた長州藩は、イギリスなど海外から軍艦や新式などの最新武器を自由に購入できなかったのです。

そこに目をつけた坂本龍馬は、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩藩の西郷隆盛、両藩のリーダーを説得し、薩摩藩の名義でイギリスから軍艦や新式銃などを購入し、長州藩に供与することを提案したのです。

両藩のリーダーから了承を得て、後に初代総理大臣となる長州藩の伊藤博文(1841〜1909年)などが長崎に潜入し、亀山社中のメンバーのサポートを得ながらイギリス・グラバー商会のトーマス・グラバーから最新兵器を購入します。

これにより長州藩は武力を拡充することができ、日本陸軍の創始者で兵器・軍制の近代化を目指した大村益次郎(1825~69年)の指導を受けながら、対幕府戦で勝利を収めることができたのです。

逆に、長州藩から薩摩藩に供与されたものもあります。

それは戦時における軍兵の食糧米(兵糧米)です。薩摩藩は、京都に多くの兵士を抱える軍隊を置いており、そのための兵糧米を必要としたのです。

坂本龍馬から長州藩に、薩摩藩への兵糧米の供与を依頼したところ快く承諾し、500俵を準備しました(薩摩藩が受けとらず、亀山社中が受けとったともいわれています)。

これは、米の生産量が少ない薩摩藩に対して、長州藩は米の生産が盛んなことに着目したものでした。

このように薩摩藩から長州藩には最新武器を、長州藩から薩摩藩には兵糧米を相互に供与することにより、徐々に感情的なわだかまりは解けていきました。

こうした経緯を踏まえて、ついに薩長同盟が成立し、時代は一気に明治維新へと向かっていくのです。

引用:リーダーは日本史に学べ 武将に学ぶマネジメントの本質34/出版社:ダイヤモンド社/著者:増田 賢作/監修:小和田 哲男

【恐らくこうなる】

「やめて!パパ!ママ!!」

天使のようなおばあちゃんがいる駄菓子屋の近くにある1LDKで、10歳の私は叫んだ。

まるで、貧乏神が着ているようなスウェット姿のパパはママにこう言った。

「またこんな高いGUCCIのバッグ買いやがって!俺の小遣い上げてくれよ!このサハラ砂漠顔女!!」

それを聞いたママは、潤いを帯びたハバネロのように顔を真っ赤にしてパパにこう言い返した。

「何よ!あなたこそ、いやらしい目で前歯の無い女子高生が歯茎でコイン曲げる動画観るのやめてちょうだい!!」

これが、坂本龍馬と同じ髷を結えないほどの癖毛を持つ私の日常。

障子紙がビリビリ揺れるほどの喧嘩から始まる。

どうやってこの2人が結婚したのか、知りたくもなかった。

学校で、一番仲のいい二つ結びとそばかすが似合う友達に聞いてみた。

そしたら、「私の家もそんな感じだよ」と、天使の羽くらい軽く流された。

だけど、私は知っていた。
パパとママはケンカばかりだけど、お互いに力を合わせれば上手くいくことを。

パパは、丸太くらい太い腕で力持ち。

ママは、米粒に絵を描けるほど手先が器用。

だから、何処の家も同じってのには納得がいかなかった。

よく晴れた日曜日の朝。

またパパとママはケンカしていた。

よくやるよと思った。

そこで私は、盗塁のようにパパとママの間に滑り込み、こう言ってみた。

まず、パパには「ねぇパパ。ママはね、手先が器用だけど、力持ちじゃないの。」

それを聞いた瞬間、パパは私を見るのを止めて、軽蔑の眼差しでママをじっと見つめていた。

そして、私は続けた。

「だからパパは、重いタンスやソファを持ち上げてママの掃除を楽にしてあげるといいと思うよ」

それを聞いた瞬間、ママから私にサッと視線が移り、パパの表情が柔らかく穏やかに変わったのを私は見逃さなかった。

このチャンスをものにする。

すかさずママには「パパは力持ちだけど、器用じゃないの。」と言った。

ママもパパから私に視線を移した。

続けて私はこう言った。

「だから、パパの仕事道具が壊れちゃったりしたら、新しく買い替えるよりママの手先の器用さで直してあげるといいと思うんだ」

ママの表情も怒りがスッと抜け落ち、穏やかになった。

そして、パパはソファを豆腐の如く軽々と持ち上げ、ずっと気になっていたソファの後ろの埃を綺麗に掃除出来て、ママは満足していた。

ママは、パパが使っている仕事道具の縫い付けが解けていたので、一発で針に白い糸を通して、持ち前の器用さで縫い直した。

こうしてお互いに足りないところを自分の長所で補った。

気付いたらケンカは、ゲリラ豪雨のようにパタリと終わっていた。

私が仲介に入って、1LDKの雰囲気が、久しぶりのものだと家族3人気付いた。

沈黙が心地良かった。

すると、パパが「ごめん」。
ママも「私の方こそごめんなさい」。

2人は、織姫と彦星が久しぶりに再会した時のように、手を取り合った。

そして、まるで正月とクリスマスを同時に迎えたような喜びが部屋中を満たした。

多分、パパとママの2人だけだったら、仲直り出来なかったと思う。

お互いの短所ばかりに目がいってたから。

でも、私がいたからお互いの良いところに目を向けることが出来た。

そのために、私は産まれてきたのかなって思った。

🅿️仲介役を入れると、物事は解決の方向へと向かいます。

2人では気付かないことも、3人なら気付くことがあり、良い方向に進めることが出来ます。

仲介を入れてお互いの長所を出し合うのは、新たな可能性の夜明けぜよ。

もしも夫婦ゲンカに『坂本龍馬』を加えたら、恐らくこうなる。

参考文献
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