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2024年10月 タイ旅行記④ リトリートのスタート~ディナーと肝試しのような夜

タイ旅行記④ですが、まだまだ初日の夜の話。

マッサージ2種類を堪能し、部屋でゆるゆると休憩。

私は物事と物事の間にいちいち「空間」を入れないとダメな人間なので、無駄は多いが休憩を入れられる楽なスケジュールでしか動けない。

そのような感じでベッドで1時間ほどゴロゴロして過ごし、リトリートのオリエンテーション兼ディナーの時間になった。

レストランの「離れ」の席につながる道、
というか橋。下には川が流れている。

メンバーは、主催者のC先生と参加者5名。
C先生以外は全員それぞれ初対面だったが、私は楽に過ごすためあえてハードルを下げて、マッサージで崩れたメイクと適当にまとめた髪のまま、メガネ、部屋着で登場。

ゆるゆるとした気持ちのままで入って行ったら、異国だからというのもあるが、初対面と思えないほどリラックスして等身大で無防備な自分のままを出せた気がする。
(これが東京だとカッコつけてしまい、緊張してガチガチになる)

6人でシェアすると色んなものが食べられる。
奥の3つの山は赤~黒っぽいタイのお米。
玄米みたいだけど、そこまでパサパサしていない
独特な食感にハマり、普段は炭水化物を
控えているが、ホテル滞在中ほぼ毎食食べていた。

ディナーの後、少し部屋に戻って休憩(これ大切!)。
いったんこまめに1人時間を作り、クールダウンさせることが、私のようなHSP傾向のある人間が他の人たちと楽しく過ごすコツである。

私が滞在していたコンドミニアム。
2階の手前バルコニーがあるのが私の部屋。
1階は半分が共有スペース、もう半分は客室。
2階に2部屋あって、同じリトリートの
メンバーが隣だったため、ドアを開ける音が合図
で一緒に移動することができ、迷子を防げた。

ディナーの後、少しするとホテルで毎日開催されているヨガのクラスの時間。

夜はタオイスト・陰のクラスとのことだが、気功がベースの、いつもやっている陰ヨガの元々の形である陰陽ヨガの陰の部分にフォーカスしたもの、とのこと。(結局、陰ヨガなのか?とこの時点ではまだ謎)

まず、広大な敷地内、ヨガを開催される場所まで行き着くのが一苦労。
隣の部屋の方とは、ドアを開ける音を合図に一緒にコンドミニアムを出て、場所に向かってみたものの、日本では経験しない街灯の少なさ、夜のリアルな暗さに私はびっくり。

足元が見えない怖さもあり、隣の部屋のお姉さまに終始甘えっぱなし、頼りっぱなし。

途中で、別のコンドミニアムに滞在しているリトリートの他のメンバーたちも合流したが、場所がよく分からず、暗さで木や物が人影に見えたりしてキャーキャー言っていたことなど、肝試しのようで今から思い返すと楽しい瞬間だった。

ようやくたどり着くと、学校の体育館のような、予想より大きな建物の壇上に1人の小柄な年配の女性が。おそらく75~90歳くらいに見える。よく日焼けしているがヨーロッパ系?

この方が、私がこれまで知り合った人物の中で最もエキセントリックで中毒性のある、これからお世話になるホテルの気功とヨガ担当のM先生だった。

一見、ジプシーのおばあさんのようにも見えた彼女は、アゼルバイジャン出身とのこと。
推定年齢80歳とすると、旧ソ連時代、第二次世界大戦、ソ連崩壊、アルメニアとの戦争など様々なことを経験しているはずだ。

どんな経緯でタイで気功とヨガを教えているのか、それぞれの歴史的に大きな出来事の最中、どこでどんな人生を送ってきたのかとても気になったが、そんな個人的なことを聞くにはリトリートは短すぎた。

11人の子どもを出産し、助産師でもある、というM先生は、気功とヨガを通して、愛に生きること、女性として生きることのよろこびを終始伝えてくれたように感じた。

私自身は子どものいない人生を選択し、今はそこに悔いも不安もないが、実子でなくても、他者と愛を分かち合い、女性として輝くことは可能なのではないか。

この夜のヨガクラスは、私が長らく上手く折り合いをつけることに苦戦してきた女性性とあらためて向き合う入り口になった時間であった。

タオイストヨガの詳細はまた後日。
リトリートはまだまだ続く。

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