metromarket

東京の元麻布で小さなスーパーマーケット「METRO MARKET」を営んでいる53歳の店主です。 自身も含めて高齢な方が周りに増えてきましたので、いかに「老いる」ことを「楽しみ」「楽しませるか」を軸に高齢家族みんなで書き留めていきたいと思っております。

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東京の元麻布で小さなスーパーマーケット「METRO MARKET」を営んでいる53歳の店主です。 自身も含めて高齢な方が周りに増えてきましたので、いかに「老いる」ことを「楽しみ」「楽しませるか」を軸に高齢家族みんなで書き留めていきたいと思っております。

最近の記事

84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十七

タローは我が家に来て2日間、ほとんど何も口にしませんでした。 夫には言いませんでしたが、心の中では「あまり長くは生きられないかも…」と覚悟をしていました。 3日目、夫が会議で会社に出かけた時のことです。 洗濯を終えて、リビングでタローを抱っこしようとすると、なにやら怪しい動き方をしているので、しばらく様子を見ていると、長い便秘を我慢していたように、うーんうーんとキバっています。 しばらくすると… でるわでるわ、白い虫がうじゃうじゃと… 思わずギャーッとなりましたが、す

    • 84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十六

      今日はいよいよタローとの出会いのお話です。 2007年、夫が70歳になり、社長を引退することになりました。 会長として若い社長の相談役として残りますが、これまでのようにお弁当をもって毎朝6時半に出勤ということはなくなるので、日常は大きく変わりました。 以前から朝の散歩の相棒が欲しいとペットショップなどものぞいていましたが、もうすぐ70歳のお誕生日を迎えようとしていた夏のある日、次女から電話がありました。 東京の青梅市にある御岳山の神職さんのお家で柴犬の赤ちゃんが生まれた

      • 84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十五

        今日は母のお話です。 1920年東京で生まれました。子供の頃に関東大震災に遭い、祖父は母を埼玉の祖母に預けて大阪に移り住み、新たにお商売を始めます。そこに丁稚奉公として父がやってきます。 大阪でのお商売が落ち着いたころ、家族で大阪に来ますが、その時は番頭さんになっていた一回りも上の父に、母は一目ぼれでした。そして母は17歳の女学生の時、私を生みます。 余談ですが、女学生時代に結婚して子供を産んだので、夫である父は母の保護者でもあったそうです。女学生なので、精神的には幼か

        • 84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十四

          夫が製袋会社の社長になったのは48歳でした。 夫が社長になった会社は、もともと私の父が戦後につくった「金子商店」という会社でした。設立して5年で亡くなってしまいましたので、その後は人手に渡ってしまいましたが、設立当初は、のちに総理大臣になる佐藤栄作さんと出会ったことで、ダム建設で大量に出たセメントの袋を再生する事業を立ち上げ、会社は大きく成長したそうです。 おかげさまで、父が会社を設立してからの数年は夢のようなお嬢様暮らしでした。けれども、以前にもお話しましたが、父が亡く

        • 84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十七

        • 84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十六

        • 84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十五

        • 84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十四

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十三

          私は買い物が大好きで、あまり外出をしなくなった今でも、通販のパンフレットなどを見るのが楽しくて、いつも何か探しています。 それは、自分のものでなくてもよくて、娘や息子や孫やお友達…とにかく誰かを喜ばせたいと思い、そのためにお金を使うことが多いです。 自分ではそんなことは日常生活の一部で気に留めたこともありませんでしたが、娘に聞かれてなんでこんなに買い物やプレゼントが好きなのかと考えてみました。 お中元やお歳暮の風習は今ではずいぶん少なくなったようですが、昭和の時代は当た

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十三

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十二

          ブログを書き始めてから、忘れていたいろんなことを思い出すようになって、意外と夫と過ごした時間がたくさんあったことに驚いています。 仕事だ、ゴルフだ、接待だ、寄合だ、なんだかんだとほとんど家にいなかったイメージでしたけど、夫が足を悪くしてゴルフをやめてからは、結構一緒に出掛けることが多かったようです。 特に50代後半からの10年くらいは中小企業の仲良しの社長さんの会があって、年に1~2度旅行につれて行っていただきました。中でも、八十八か所参りを2年かけてみんなで廻ったことはよ

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十二

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十一

          天気予報では今年の梅雨は早いようで、夏は暑くなるそうですね。 娘から、夏は熱中症に気を付けなさいと言われますけど、電気代が上がると、冷房を控えなければいけないのがつらいですね。逆に、みんなで冷房を使うのをやめたら、室外機が動かないので、外の空気は涼しくなるようですよ。試してみたいけど、難しいでしょうか…  昔は打ち水といって、家の前の道によく水を撒いていました。京都の町家できれいなお姉さんが浴衣姿で左手に桶をもって、ひしゃくで優雅に打ち水をしている姿は日本の風物詩でした。見

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十一

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十

          息子は大学卒業後、東京の企業に就職しました。 家を出たかったのでしょうね。夫は少し寂しそうでしたが、夫と同じ業界の大手企業でしたので、頼もしくも感じていたようです。 息子は、長女とは十、次女とは八つ離れていて、小学校に入った頃には姉たちは高校生だったので、自分一人だけが子供でつまらない、とにかく早く大人になって働きたいと言っていました。ですから就職が決まった時はとても喜んで、東京での一人暮らしに胸を躍らせていました。けれども実際に行ってみると、家賃は高いし、とにかく何をす

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十九

          少し時代が前後しますが、40代になると私は少し時間ができて、文化サロンに通えるようになりました。 以前から習いたかった人形作りの講座に通うと、木目込み人形づくりにはまり、お雛様やお福さんなどの人形を20数体創りました。自画自賛で恐縮ですが、思いの外良い出来でしたので、1体だけを残して、あとはすべて娘やお友達にプレゼントしました。 また、文学を読み解く講座では、大学で講師をされている先生から課題が与えられ、例えば谷崎潤一郎の「細雪」ならば、小説を読んだ後に舞台となった芦屋や

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十九

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十八

          久しぶりにタローの近況報告です。相変わらず一日のほとんどを寝て過ごしています。 朝は変わらずペットシッターのお兄ちゃんが散歩につれて行ってくれて、その時は飛んでいきますが、帰ってきてご飯を食べたらソファで朝寝。正確な腹時計で、11時にむくっと起きて足元にやってくるとお昼ご飯の催促。そして、昼寝。週に2回お掃除に来てくれるお姉さんが、時間があれば午後の散歩につれて行ってくれるので、玄関でお姉さんをお迎えして、飛びついて存在を大アピール。そしてお散歩から帰ると夕寝。お姉さんが来

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十八

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十七

          新しい家に引っ越してみると、お風呂もトイレも台所も古くて、結局2階も含めてリフォームすることにしました。そうと決めたら、また方眼紙を買いに行って、定規と鉛筆をもってタイルやお風呂のカタログを見て、毎日がとても楽しくなりました。 引っ越した時はすでに次女の結婚が決まっていたので、まずは1階から。 私がタイルのカタログを見ていると、次女がのぞき込んで、「これ良いね」などと色々自分の好みを言い出します。最初は黙って聞いていましたが、カーテンやら照明やら、次女の好みをぐいぐい押して

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十七

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十六

          長女がお嫁に行った年、次女はやしきたかじんさんの事務所に在籍、長男は中学三年生になりました。長男は中2の時、やしきさんが箕面市に建てた一軒家の新築パーティに誘ってもらって、参加しました。その時、やしきさんから「俺の母校の桃山学院高校に行け」と言われ、それがどんな学校かも知らないまま、「はい」と応えたようです。全く想定外でしたが、誰かが決めてくれるというのは楽だし、信頼している人の母校だというだけで、なぜだかそれも悪くないと思えるから不思議です。桃山学院はキリスト教の学校で教会

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十六

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十五

          次女は進学に失敗して社会人になりましたが、学校から解放されて水を得た魚のように好き放題に暮らし始めました。帝塚山の「菊一堂」というパンとケーキのお店が私たちの近所にオープンして、レストランもあって、そのお店の早朝勤務はモーニング付というチラシに釣られて、早朝のアルバイトをはじめ、6~9時は菊一堂で働きながら朝食もいただき、それが終わると週に4回千里丘の毎日放送に行き、週に2回難波の近くにある耳鼻科の受付をして、風邪を引いたらちゃっかりお薬をもらい、日曜・祝日はコンサート会場で

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十五

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十四

          条南町の家での一番のイベントは長女の結婚でした。 長女が生まれた時のことを思うと、感慨深いです。とにかくはじめて経験した妊娠でしたので、お腹にいるときからものすごく楽しみにしていましたが、これまでお話した通り、家はボロいし、大家族だし、お金はないし、夫はほとんど家にいないし…で、今思えばよくあんな環境で子育てに夢を描けたと思いますが、嘆いても仕方ないので、いつも前向きに大好きな音楽をかけて過ごしたのが良かったのかもしれません。音楽は想像力を駆り立て、いろんな世界に連れて行っ

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十四

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十三

          私たちが家を建てた泉大津市の条南町は、田んぼや畑、養鶏場だったところを住宅用に開拓した、いわゆる新興住宅地でした。ですから、ほとんどがうちと同じ時期にできた家ばかりだったので、人間関係も気楽な新しい町でした。もちろん古くからそこに暮らしてきた方もいらして、そんな奥様が会長を務める婦人会に私も誘われ、入会しました。 夫は会社勤めと珠算塾に加え、自治会や珠算協会の役員も務め、さらにゴルフを覚えたので、家でゆっくりする時間は全くありませんでした。私も年寄りと3人の子どもの家事と珠

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十三

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十二

          珠算塾をしていた頃、生徒は小学3年生から5年生までが一番多かったです。まだ今のように学習塾に通う子供は少なくて、まさに「読み書きそろばん」と言って、習い事と言えばお習字とそろばん、そしてピアノでした。娘たちがちょうどその年代でしたので、二人の同級生達がたくさん来ていました。一番多いときの生徒数は99人。家の前は自転車がずらっと並び、今ほど車が多い時代ではなかったので、子供達が道を占拠して遊んでいました。そろばんを習いに来るのが半分、友達と遊びに来ているのが半分という感じで、1

          84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十二