84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その十四
条南町の家での一番のイベントは長女の結婚でした。
長女が生まれた時のことを思うと、感慨深いです。とにかくはじめて経験した妊娠でしたので、お腹にいるときからものすごく楽しみにしていましたが、これまでお話した通り、家はボロいし、大家族だし、お金はないし、夫はほとんど家にいないし…で、今思えばよくあんな環境で子育てに夢を描けたと思いますが、嘆いても仕方ないので、いつも前向きに大好きな音楽をかけて過ごしたのが良かったのかもしれません。音楽は想像力を駆り立て、いろんな世界に連れて行ってくれるので、食べることの次に必要でした。ですので、ステレオはかなり早い時期に買いました。
ボロ家で聴くクラシックは、生きるエネルギーが湧いてきます。特にムソルグスキーの「はげ山の一夜」をよく聴きました。これを聞くと、自分の子供時代を思い出します。道端に転がる死体を横目で見ながら、焼夷弾から身を守るために芋畑や麦畑に身を隠したこと、貨車に乗って疎開先へと移動したこと、栄養不足で脚気になったこと、疎開先でいじめられたこと…。一方で、そんな私を不憫に思った食堂のおばさんがコロッケをくれたこともあり、そのおいしかったことと言ったら、言葉ではとても表現できません。7歳で終戦を迎えましたが、自分の子どもには絶対にそんな思いをさせてはいけないと強く思いました。
お腹の中にいるときから音楽を聞かせると胎教に良いと、当時の婦人雑誌に書かれていたので、クラシックをよく聴きました。シューベルト、モーツアルト、サンサーンス…
おかげで、子供たちはみんな音楽が好きです。言葉がわかるようになるとディズニーの映画もよく観にいきました。長女が子供の頃は私の大好きなドリス・ディの「ケセラセラ」やジュリー・ロンドン、ペリー・コモ、ナット・キング・コールなどのアメリカンポップスを聴かせていましたので、生まれてから家ができるまでの10年間、ボロ家での生活ではありましたが、いつも音楽が流れていて、夜はよくテレビで映画を観て、深夜に夫がお土産に持って帰ってくる一半のお寿司で起こされて、おやつにはドーナツをつくって、洋服はオーダーメイドで、心の中は豊かに過ごせたかなと思います。
夫は娘たちが大きくなるとよく連れて歩きたがり、長女が中学に入ると「小さな恋のメロディ」を観に行きました。それ以来彼女はマーク・レスターに夢中でした。中学生になったお誕生日には「カーペンターズ」のLPをプレゼントしました。そのレコードがとてもうれしかったようで、カーペンターズの歌詞を覚えるのに夢中になって中間テストの成績がとても悪かったことがありました。まあ、勉強しないで後でつらい思いをするのは本人なので、「大人になって頭を打つのはあなたよ!」ぐらいは言ったかもしれませんが、いうのはその時だけ。結果が出たら、それがたとえ悪くても叱ってはいけないと思っていました。子供を育てる上で大切なのは、失敗しても「失敗は成功のもと」と考えて、とにかく励ます。落ち込ませない。前を向くお手伝いをするのが母親の役割と決めていました。
自分にも言い聞かせているのは、とにかく愚痴らない。口にするのは、前向きな言葉が良いのです。その通りになっていくから。
舅と姑の介護も、本当は今のように紙おむつもないし壮絶でしたけれど、頭の中にはいつも音楽が流れていて、歌うとしんどいことから逃れられたような気がします。
長女はそんな私をいつも傍で見ていました。私の母、長女にとっては祖母でお琴の先生でもありますが、彼女の望みにも応えてお琴の師範のお免状もいただきましたし、パパのことも大好きで、就職も夫の決めた会社に就職して、そこで結婚のお相手にも出会いました。本当に家族思いの娘です。
あの頃は、夫の会社も一番良い時代で、お嫁に行く荷物をそれなりに整えられて、近所の人たちにも祝福されて、私たち夫婦の一つの幸せの形が整った瞬間だったと思います。
それから、初孫ができて、天使のような子供たちが遊びに来てくれた時は本当にうれしかったですね。
彼女が一番好きな映画は「ゴッドファーザー」です。さもありなん。
今日は、長女と一緒によくつくったドーナツをおやつにいただきます♪
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