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84歳寅年京子ばあちゃんの老いるを楽しむを書き留めてみる その二十二

ブログを書き始めてから、忘れていたいろんなことを思い出すようになって、意外と夫と過ごした時間がたくさんあったことに驚いています。
仕事だ、ゴルフだ、接待だ、寄合だ、なんだかんだとほとんど家にいなかったイメージでしたけど、夫が足を悪くしてゴルフをやめてからは、結構一緒に出掛けることが多かったようです。

特に50代後半からの10年くらいは中小企業の仲良しの社長さんの会があって、年に1~2度旅行につれて行っていただきました。中でも、八十八か所参りを2年かけてみんなで廻ったことはよく覚えています。

バブル時代の八十八か所参りは、弘法大使さんには内緒ですが、タクシーで廻りました。

1回二泊三日、1日7~8か所、まるでスタンプラリーだと次女には苦い顔をされました。そういわれるとちょっと胸が痛いですが、毎晩宴会で、とても楽しかったです。

そもそも、真言宗の開祖・弘法大師さんが42歳の時に、自身と人々の災いを除くために歩いた道を仏道修行の道場として札所としたものが始まりとされるお遍路。すべてのお寺を巡ると八十八の煩悩が除かれ、八十八のご利益・功徳を得られるとされています。

はじまりは「霊山寺(りょうぜんじ)」から。ちなみにお隣は徳島県の一ノ宮・大麻比古神社。霊山寺は約1300年前に聖武天皇の勅願で行基が開いた古刹…と説明書に書かれています。1300年と言えば、古事記編纂も1300年前だし、伊勢のご遷宮も1300年以上とされています。仏教が伝来したことを機に、きっといろんなことが動いたのですね。

昔は昔なりに、今は今なりに、いつの時代も生きることは大変で、神様や仏さまにすがりたいと思った人はたくさんいらしたでしょうから、やはり1300年も前に修行の道を開いた弘法大師さんはすごい人だなあと、今改めて思います。

さて、この時の八十八か所参りでは白衣に御朱印を押していただきましたが、それは私の母が亡くなった時にお棺に納めました。三途の川を渡るときにこれを着ていくのだそうで、草鞋も入れます。

この話をすると、娘から「そういうことって誰に教わるの?」と聞かれました。うちは浄土宗だけど、同じなの?とか…

そういえば、私、まったく疑問を持ったことがありません。
家の中のことはすべて夫の言いなりでしたから、この時もそうするものだと言われたらそれに従うだけ。そうでなければ良い嫁ではありませんでした。言われるとおりに家を守っていれば、夫は元気に働けましたし、家族が明るく暮らせました。

当時はそんなことを考える暇はありませんでしたが、改めて考えてみると、家を守るということは、日々の食事や洗濯、お掃除など、みんなが心地よいと感じる家を維持することで、家族が元気に過ごせました。それはとても大事なことだと思います。その頃は自治会もあって婦人会や子供会もありましたので、ご近所で集まってまちのごみ拾いをしたり、盆踊りをしたり、あるいはどなたかが亡くなったらお葬式を仕切ったり、安心して暮らすためには、地域の人たちとのお付き合いも、お墓参りも家を守ることの一つでした。

そんなことは誰かに教わったわけではなく、自然とその家のリズムに合わせてきたという感じでしょうか。だけど、たしかに、私の実家は日蓮宗で、嫁ぎ先は浄土宗です。そもそも宗教というものは個人のもの。家ではなく、自分自身の信じるものでなければいけないのですよね。そういうことを本当はちゃんと話し合うことが必要だったのかもしれませんね。
頭を使ったら(?)おなかがすきました。

八十八か所参りで一番盛り上がった宴会は高知。気風の良い仲居さんが運んでくれる皿鉢料理のおいしかったこと。特に藁で焼いたカツオのタタキは最高でした♪

今夜は、カツオでちょこっと日本酒をいただこうかしら… 残念ながら、八十八の煩悩は除かれていなかったのかもしれません。


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