英検3級から翻訳校閲者になるまで #3
https://note.com/merlin_witch/n/n275de1ba7c19 の続きです。
「薬袋式」に出合って英文の構文分析ができるようになった、というところまできた。だがここから10年ほど、フルタイムで働く傍らプライベートがたいへん忙しかったことから体調をくずし、翻訳会社を辞めることになった。
さらに法律・契約書を専門とする翻訳学校にも夜間コースに通学していた。そういう状態にあったこの期間、体系立って英語の勉強をしていたとは言えない。それでも、毎日「英語のトレーニング」はしていた。
ばたばたの日々でも通勤を利用して英語トレーニング
この頃一番よかった教材は、NHKラジオ「攻略! 英語リスニング」だった。通訳者で大学講師の柴原智幸先生が講師であったこの教材は、リスニング講座なのだが、なんといっても教材の英文内容がとても興味深かった。いま思い出しても、共感覚や虹の話、ナポレオンのことなど多岐にわたって「大人が読んで」おもしろい素材文だった。これを通勤時(往復3時間)に毎日電車内で聴き、声を出さずにシャドゥイングしていた。
リスニング教材ではあったが、徹底的にシャドーイング、リピーティングを繰り返して英文をほとんど覚えるところまで仕上げた。ほかには時間をとった勉強はできなくても、英語力を維持しておけたのはこの教材のおかげだろう。
もっと勉強しなければ! だけどどうしたら……
さて、翻訳会社を辞めてからは、フリーランスの翻訳者として生きていこうと思っていた。しかし、とりあえずは稼がねばならない。あちこちに履歴書を送ったりトライアルを受けたり紹介してもらったりしたあげく、編プロに行ったり、出版社常駐で仕事をもらったりして生計を立ていた。けれども、毎日時間をとって英語学習をしなければならないことはわかっていた。
最初は独学でいろんな教材に手を出していたが、このままでは自分の英語力を維持するのが精一杯。それ以上はもう伸びないだろうとわかっていた。
TOEIC910点はとったけれど……
この頃、自分の実力を測るためにTOEICを受けてみた。結果は910点。ひとつの目標であった「900点超え」は果たしたけれど、自分が「英語ができるようになってきている」という手応えはまったくなく、焦る一方だった。
そんなある日、自分が外国語学部を有する大学から徒歩5分圏内に住んでいることを思い出した。ここで社会人聴講生を募集していることを知って、「これだ!」と思った。
大学の聴講生として「学問」としての言語学を習う
さっそく願書を提出して面接を終え、無事に某大学の学生証を手にすることができた。ここでもう一度、きちんと英語を勉強しよう。
運用スキルももちろんだが、せっかく学び舎で若い人たちと時間を共にするのだ。学問としての英語も勉強しようと思い、まずは言語学を選んだ。
1年目の前期は、言語学入門編とでもいうべきものだった。中教室で行われる授業で、周りの学部生も1、2年生が多かった。
ここでは川端康成の「雪国」等を題材として、日本語と英語の「視点の違い(英語は上から俯瞰する、日本語は自分を中心として広がっていく)」や、英語史概説を教えてもらうことができた。
それまで英語を「学問」として勉強したことがなかったわたしには、すべてが新鮮だった。
いつも一番前の席に座り、質問をしに行く聴講生は、そうでなくとも目立つ。幸い、担当の准教授は気さくな方で聴講生の質問も大歓迎ということで、熱心に教えてくださった。
成績表に「A」と印字されていたときは、TOEIC910点をとったときよりも嬉しく、達成感でいっぱいになった。
では、肝腎の「運用スキル」はどうなったか。これはまた明日に譲ろう。
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