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消えゆく記憶と共に〜双極症の私と認知症の母の日記〜

私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まるで鏡に映る存在だ。全体と部分は見方の違い…
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#認知症

【第18日】母の音色、新たな調べ

認知症の治療の鍵は「新しいことを覚える」ことにあるのではないか——そんな考えが私の心に芽生えていた。母は昔の思い出を生き生きと語るのに、最近の出来事はすぐに忘れてしまう。そのたびに、口癖のように「面倒くさい」と呟く母の姿があった。 ある日、私は母に漢字検定の勉強を一緒にしようと提案した。新しい漢字を覚えることで、脳を刺激できるかもしれないと思ったのだ。しかし、母の興味は湧かず、長続きしなかった。私自身も興味のないことを覚えるのは苦手だから、その気持ちはよく分かる。 では、

【第15日】言葉のバランスを求めて

今も昔も、母は話すことが大好きだ。私が子供の頃、家族の食卓では、ほとんど母が話していたと言っても過言ではない。父と弟と私が口を挟めるのは、わずかな時間だけだった。母の生き生きとした表情を眺めながら、私は静かに食事をしていた。 幼い私は、人前で話すのが苦手で、先生から発言を求められると頬が真っ赤になり、「りんご病」とあだ名された。何か素敵なことを言わなければと焦るあまり、言葉が出てこなかったのだ。母が楽しそうに話す姿を見て、自分もあのように話せたらと憧れていた。 しかし、一

【第14日】母に映る私、私に映る母

母と私の鏡 夕暮れの柔らかな光がリビングを包み、母はお気に入りの椅子に腰掛けていた。私はキッチンからお茶を淹れて、彼女の隣に座った。 「お母さん、最近どう?」と尋ねると、母は自信満々に微笑んだ。 「とても元気よ。私が認知症になるなんて、ありえないわ」と彼女は言う。その言葉に、胸の奥がざわついた。医師から中度の認知症と診断されているのに、母は頑なにそれを否定する。その確信はどこから来るのだろう。 数日後、母は「歯医者には絶対に行かない」と言い張った。理由を尋ねても、「必

【第13日】母と育む希望

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【第12日】時間の層を旅して

ミルフィーユのような重なり合う人生 もし人生をもう一度やり直せるとしたら、多くの人はその機会を真剣に受け止め、全力で生きようとするだろう。では、今のこの人生こそが、望んで得たやり直しの人生だとしたら、私たちはどれほど真摯に日々を過ごすだろうか。 私は双極性障害を抱えている。ただ、ただ、この与えられた人生を精一杯生きているに過ぎない。だからこそ、内に膨大なエネルギーが湧き上がっているのを感じるのだ。 予知夢を見ることが多い。デジャヴを頻繁に感じる。そう言うと、怪しまれるだ

【第8日】消えゆく光の瞬間

昼下がりのオフィスで仕事に追われていると、携帯電話が静かに振動した。画面を見ると、母からの着信だ。普段、昼間は会議や業務で電話に出られないことが多いため、母には夜9時以降に連絡してほしいと伝えてある。だから、この時間帯の電話は何か緊急の用事があるに違いない。 急いで電話に出ると、母の少し沈んだ声が聞こえた。「スマホの右上の数字が19から18に減っていくの。どうしたらいいのかしら」と心配そうに言う。おそらくバッテリー残量のことだろう。私は充電ケーブルが正しく差し込まれていない

【第7日】夢に響く母の声

ある夜、不思議な夢を見た。母が遠くから助けを求めている。涙を流しながら、「自分がどこにいるのかわからない」と訴えるその姿に、胸が締め付けられた。目が覚めたとき、もしあれが自分だったらと考えた。 私は双極性障害を抱え、妄想の中をさまよい、気づけば思いもよらない場所にいることがある。夢の中の母は、未来の自分自身のように感じられた。母は、まさに私の鏡なのだ。 思い返せば、6歳のときに起こした火事や、酒に溺れる亡き父への苦手意識から、家族から逃げ出したかった私は、大学入学と同時に

【第6日】小さな約束が紡ぐ希望の光

秋の夕暮れ、窓から差し込む柔らかな光が部屋を淡く染めている。私は机に向かいながら、ペンを握る手を止め、心の中で静かに問いかけた。 「双極性障害の私と、認知症の母が一緒に暮らすことはできるのだろうか?」 この問いは何度も頭を巡り、不安と希望が交錯する。母との生活は困難を伴うだろう。しかし、だからといって諦めたくはない。私たちが共に生きるために、どんな約束事が必要なのかを考え始めた。 記憶が曖昧になる私たちだからこそ、約束はシンプルでなければならない。私は最終的に三つの約束

【第5日】忘却の中で輝く一瞬を

秋の夕暮れ、静かな公園のベンチに腰を下ろし、風に舞う落ち葉を見つめていた。遠くから子供たちの笑い声が微かに聞こえる。その穏やかな音色に、私はふと母の面影を思い出した。 母は認知症を患っている。彼女の瞳には、今この世界がどのように映っているのだろうか。私自身も双極性障害を抱えており、時折、自分の現実が揺らいでいくのを感じる。病が深まると、現実と幻想の境界が曖昧になり、大切な人や物の存在さえも霞んでしまう。 「いつか自分が自分でなくなる日が来るのだろうか」と、不安が胸をよぎる

【第4日】失われた笑顔を求めて

母が急に元気を失ったのは、今から約十年前、父が亡くなったときだった。私は数ヶ月や一年もすれば、母は元気を取り戻すだろうと考えていた。しかし、十年経った今でも、母は以前のような活力を見せない。 「母が元気がない」というのは、何かをしたいという意欲が減ってきたことを意味している。「どこかへ行きたい」や「遊びたい」という欲求はもちろん、「食べたい」という生きる基本的な欲求さえも薄れている。自然豊かな場所への旅行や買い物、美味しそうなレストランを提案しても、母の興味を引くことはでき

【第3日】ハリネズミの叫び

私は双極性障害を抱えているが、ここ数年はうつ症状はなく、軽躁状態が続いている。軽躁状態のとき、時折、大声を出したくなる衝動に駆られる。実際に何度か大声を上げてしまったこともある。 今年の正月、私は母に対して思わず大声を出してしまった。しかし、その理由を思い出すことができない。母は驚き、涙を流しながら「家に帰りたい」と震えていた。その姿に胸が痛んだ。母は自分がどこにいるのか、時間の感覚さえも失っているようだった。最後には、私に土下座をして「帰らせてほしい」と懇願した。 この

【第1日】消えゆく記憶と共に

私と母は、静かに織りなす絆で結ばれている。私は双極性障害を抱え、現実と幻想の狭間を漂う。一方、母は認知症と闘い、記憶の彼方へと消えてゆく。病が進むにつれ、私たちはそれぞれの世界で自分を見失い、家族の存在さえも霞んでいく。 ある日、ふと気づいた。私と母は鏡のようにお互いを映し合っているのではないかと。全体と部分は視点の違いに過ぎず、大きく見るか小さく見るかで同じものを見ているのかもしれない。そう考えると、私と家族は一つの存在であり、切り離せない関係なのだ。 私は決意した。母