【第15日】言葉のバランスを求めて
今も昔も、母は話すことが大好きだ。私が子供の頃、家族の食卓では、ほとんど母が話していたと言っても過言ではない。父と弟と私が口を挟めるのは、わずかな時間だけだった。母の生き生きとした表情を眺めながら、私は静かに食事をしていた。
幼い私は、人前で話すのが苦手で、先生から発言を求められると頬が真っ赤になり、「りんご病」とあだ名された。何か素敵なことを言わなければと焦るあまり、言葉が出てこなかったのだ。母が楽しそうに話す姿を見て、自分もあのように話せたらと憧れていた。
しかし、一人暮らしを始めると、不思議なことに私も話すことが大好きになった。母の血を引いているのだろう。友人たちとの会話を楽しみ、自分の思いや考えを伝える喜びを知った。しかし、今では人の話に自分の話を重ねてしまい、注意されることもあるほどだ。
最近、自分が話し過ぎてしまうことに気づき、反省することが増えた。人は食べ物を摂取し、消化し、排泄するように、情報の受け取りと発信のバランスが大切だと感じる。話すことと同じくらい、相手の話に耳を傾けることも重要だ。
私の双極性障害は、母の認知症と似ていて、人の話を聞き流してしまう傾向があるのかもしれない。相手の言葉に自分の話をかぶせてしまうのは、その表れだろう。一方で、世の中には傾聴は得意でも、自分の気持ちを表現するのが苦手な人も多い。話すことも聴くことも、どちらも大切だ。
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消えゆく記憶と共に〜双極症の私と認知症の母の日記〜
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私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まる…
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