#読書感想文 アンデシュ・ハンセン(2020)『スマホ脳』
アンデシュ・ハンセンの『スマホ脳』新潮新書を読んだ。
2020年11月に出版されており、書店で見かけては手に取り、立ち読みをしていた。買う必要はないと思っていた。なぜなら、スマホ脳になっていることは自明のことだし、なかなか治せないよね、というあきらめからである。
このたび、自らを戒めるため、身銭を切って、購入した。
いやはや、スマホをやめたいと思っている人には、超おすすめである。
ドーパミンの出ることを期待して、次から次へとクリックをしたり、スクロールしたり、スマホを見てしまう、というのは誰もが身に覚えがあるのではないだろうか。
そして、スマホを手元に置いていなかったとしても、ドーパミン放出への期待から、集中力が削がれる、という指摘には、思わず膝を打ってしまった。
SMAPが「光、OK?」とCMをしていた頃は、ネットサーフィンで時間を浪費していた。
あの当時も不健全だったと思うが、椅子に座らなければならなかったので、際限なく見ているわけではなかった。
浴室にPCを持ち込む馬鹿はいないが、スマホを持ち込んでいる人は少なくないだろう。
今は、夜中に目覚めたときも、時計ではなく、スマホで時間を確認する。
通知もあわせてチェックをする。
調べなくてもいいようなことまで、Googleで検索してしまう。
通知に舌打ちするのに、確認をしてしまう、という不毛さ。
何かニュースが起きていないか、無意識にTwitterをチェックする。
Twitterをパソコンで開くことは、ほとんどない。
おそらく、Twitterはスマホで見ると、三倍増しぐらいに面白く感じられるのだと思う。
わたしは、とにかく集中したいのだ。
スマホに気を取られる生活をやめたい。
そこで、スクリーンタイムの導入である。
とりあえず、1日2時間を制限とした。
みなさんにお伝えしたいのは、だらだらスマホの2時間なんて、あっという間に終わってしまう、ということである。
スマホが触りたくなったら、掃除をする。
著者のアンデシュ・ハンセンが言う通り、パソコンで検索するのはOKとする。孤独に時間を過ごすにしても、だらだらスマホは質が低すぎるではないか。スマホ上で無料で読める漫画と書店まで走って買いに行った漫画では、まったく質が異なる。漫画自体の品質の問題ではなく、読み手の能動性の有無が問題なのである。何かを主体的に学ぼうとしていれば、多分クソみたいな作品からでも学べる。そして、スマホの特性上、斜め読み、次から次へとこちらのスピードも、勝手にはやくなってしまう。結果、何も残らないのだ。
(もちろん、人生には何もないことはわかっているよ)
そして、人間は、一般論より、自分が好きだ。自分に対する誰かのメッセージのほうが、アリストテレスの哲学より重要だと感じる。これまでの人生で、LINEで延々と何時間もメッセージのやりとりをした人は何人かいる。その人たちと今も仲がいいか、と問われるとNOである。あるとき、お互いにたまたま暇で、やりとりをしていたに過ぎない。そんなに仲が良くなったのなら、アクリル板越しでも、会って話せばいい、と思う。
スマホに触ることを禁じたら、部屋はきれいになるだろうし、創造性も高まるに違いないのである。そして、スマホに触りたくなったら、『スマホ脳』を読むことにする。
あたいは本気だよ!
脱スマホライフができたら、また報告したい。