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そうだ、冒険に出たかったんだった

児童書がそばにあった

子供の頃を思い返すと、「今いるところがしんどいことは確かだけど、この世界はきっともっと外に広いはず」という心持ちで生きていた記憶がある。
そういう小さな人に届くようにか、児童書は真に迫る辛さや悲しさを含んでいるのと同時に、まだ知らないものへの期待が詰まっているように感じる。ハッピーエンドと言えるものが多いけれど辛いことが起きている確率は大人の本よりも高い気がする。
児童書に描かれる冒険譚は、自分ではどこへも行けないからこその「ここではないどこかに行きたい」と思う子供の気持ちにリンクするのかもしれない。

もちろん、そういうテーマの児童書ばかりではないが、思い当たるものはたくさんある。例えば、「ココの詩(高楼方子)」、「ダレン・シャン(ダレン・シャン)」、「デモナータ(ダレン・シャン)」、「13ヵ月と13週と13日と満月の夜(アレックス・シアラー)」、「夢水清志郎シリーズ(はやみねかおる)」、「魔法使いハウルと火の悪魔(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ)」、「サークル・オブ・マジック(デブラ・ドイル/ジェームズ・D・マクドナルド )」、「エルマーのぼうけん(ルース・S・ガネット/ルース・C・ガネット)」、きっと忘れてしまったもっと沢山の児童書たちに、辛さを分かってもらったり、広がっているかもしれない世界の大きさで励まされたりしながら育てられてきた。成長とともに普通の小説も好きになったけれど、児童書の席が失われることはなかった。(見出し画像は小学生の頃に描いた絵に映り込んでいる本たち)

特に、当時大ヒットしていたダレン・シャンに夢中になった。ノートの切れ端に登場人物のイラストを描いて小さく折って同級生と授業中に交換したり、巻ごとについてくるポスターから少しずつ要素を抽出して「私にとってのダレン・シャン」というテーマの絵を描いたりしていた。今から考えると立派なオタク活動だと思う。表紙やポスターの絵を描いている田口智子さんが人生で一番初めに好きになった画家だ。
いまだに、鍾乳洞の中でダレンめがけて落ちてくる石のささくれだったつららを受け止めて手のひらに刺さった痛みや、ダレンがクレプスリーに感じた憎しみが親愛や寂しさに変化する様を忘れていない。


冒険に出たかった

子供の頃は、私にも冒険に出る理由さえあればと思っていた。できれば自分のためではなくて他者のためがいいな。そしたらなんだかかっこいいのに。
同時に、自分はそんなに優しい人間ではないとうっすら分かっていて、そもそも冒険に出る理由として他者を求めるような人間は結局ひとのために困難に向かったりはしないことと、やり遂げられないことをなんとなく知っていた。そんな気持ちが児童書の主人公たちへの憧れをより一層強くした。

今はそんな気持ちともとっくに折り合いがついている。
自分のために冒険に出てもいいし、家にいてもいい。選べる中で家にいるのだ。何でもできる大人になった。



児童書たち(サークルオブマジックの14年ぶりの新刊が出ていた!)


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