自分のアイデンティティは どこにあるのか〜あなたの『拠り所』は”今”どこですか?〜
今日もお疲れ様です♪
では早速今日のnote始めていきましょう!
生まれ故郷に向かう
昨日と今日の2日間は、
生まれ故郷の新潟に出かけてきました。
そこへ出かけるのは約5年ぶり。
前回に訪れたのはコロナウイルスが
猛威を振るう少し前。
ラグビーワールドカップが日本で開催され、
見事日本代表が決勝トーナメントに進出する出来事…の前。
平昌オリンピックで羽生結弦さんが、
金メダル連覇した出来事…の前。
そんな思いを巡らせながら、
その地に向かいました。
懐かしさ、侘しさ、高揚感をブレンドしたようなものが内側から込み上げてきたような不思議な感覚。
『行く』? or 『帰る』?
ところで、
皆さんは離れた故郷に向かうことを、
どのように表現するでしょうか?
『行く』といいますか?
それとも、
『帰る』といいますか?
私は今まで、
『帰る』と表現していました。
だから、その家に着くと、
『ただいま』と言っていました。
でも、
生活のベースが他の地に移って長いことや、
訪れる頻度が少なくなったらだとか、
期間が空いたためか、
今回は『行く』という感覚だったんですね。
それを自覚したのは、
今日戻ってきたとき。
何となく『ホッ』としたんですね。
自分のアイデンティティはどこにあるのか
何がいいたいかと言うと、
自分が向かう方向のどちらに、
自分にとっての『安らぎ』があるのかと言うことを知っているって、結構重要なんじゃないかなぁと思っていて、
つまり、自分の心が無意識に求めているものを知っていると言うことです。
言葉で表現している『帰る』という目的地がさす場所というのは、無意識に自分が求めている場所なんじゃないかなぁということです。
ということは、
生まれ故郷というのは、
必ずしも帰る場所とは限らない。
巣立って新たな帰る場所を見つけるということは、人生の中では往々にしてあり得ることだ。
それと同様に、
自分が持っているメインの思想。
拠り所にしている考え方。
それもある意味生まれ故郷だ。
心地の良い『帰る場所』だ。
そこに対してそぐわない意見をぶつける人に対しては敵対心のようなものを抱くし、いわゆるHomeとAwayのように、自分の『拠り所』に対して、反対の思想ももちろんあると思っています。
アイデンティティ=生まれ故郷?
アイデンティティというのは、
自分の拠り所であり、自分が物事を捉えるための中心の考え方であると言っても良いが、そのカテゴリーの中に『生まれ故郷』という要素は必ずしも入らないと思っています。
むしろ、そこから積極的に離れて行くことの方が重要なんじゃないかなぁと思っていて、いつまでも同じ場所を拠点にするというのは『依存』と紙一重という捉え方もできてしまうと思っている。
つまり、極端なことを言えば、
考え方が子供のころから変わらないということになる。
それ自体はイイことでも悪いことでもないが、
自分がどこから出発して、どこに戻るのか。
つまり『帰る』のかを知っているか。
という考え方の部分を、
物理的に帰省というイベントの中で感じたところである。
今回は『自分のアイデンティティは どこにあるのか〜あなたの『拠り所』は”今”どこですか?〜』について書かせていただきました。
また、あしたね(^^)/~~~