見出し画像

今の常識は昔の偏見、昔の常識は今の偏見~自分自身に偏見を持ち続ける~

偏見と常識

今回は、
前回日曜日の何気ないアウトプットから生まれた「偏見」についてのはなしから少し裾野を広げて、偏見と常識のお話を書いていきたいと思います。

そもそも自分1人の意見、個人的な意見というのは「偏見」です。
そしてその「偏見」が魅力的だったり、多くの人の心をつかむものに対してインフルエンサーと表現するのだと思っています。

そして、それに同意する人だったり、時代背景がその意見についてくることで、それが「常識」に近づいて行きます。
つまり、その意見にどれほどの人が同意しているかの差

まだインターネットが普及していない時の情報伝達手段は手紙でした。
それは伝えたいことを伝えるまでに数日かかりました。
現在では思った時に連絡ができるのは当たり前。
そのタイムラグは大幅に削減されました。
でもそれは今となっては常識。
でも当時はそのような構想は「偏見」でした。

「偏見」はいずれ「常識」に切り替わるもの。
そして「常識」はいずれ「偏見」に切り替わるものだと思っています。
そしてそんな私の意見も「偏見」。

偏見のコレクション

ドイツの理論物理学者、アルベルト・アインシュタインは

常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである

という名言を残しています。
そもそも自分の中で常識だと思っていることというのは、
偏見であると言うことです。

しかも「18歳までに身に付けたもの」、
つまり未成年のうちに身に付けたもの。
という事は大人になってから身に付けることというのは・・・

そこまで行くと深みにハマりそうなので、
アインシュタインさんの名言の深堀はせず、
お伝えしたいことは、自分が常識だと思っているものの一つ一つは、
「偏見」だという事です。

自分の中に偏見を持ち続ける

ただその偏見を持ち続けるというのは大事だと思っていて、
それが自分自身であるという事だと思っています。

自分の意見に従うということは、
自分自身をコントロールすることです。
他人の意見に従うという事は、
他人に自分自身のコントロールをゆだねるという事です。

自分自身をコントロールすることは、
自分の幸福度を上げることに直結します。

自分の偏見を持つという事は、
それぐらい大事なこと。

今回は『今の常識は昔の偏見、昔の常識は今の偏見~自分自身に偏見を持ち続ける~』について書かせていただきました。

また、あしたね(^^)/~~~

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集