【向き不向き】の認識は自分と他者であっていた方がイイ理由〜そもそも向き不向きとは〜
向き不向きとは
向き不向きは【他人】と【自分】がきめること
まず、自分自身に向いていることというのは、どのようなことでしょうか。
人と関わること、逆に関わらないこと、
人前に出ること、逆に出ないこと、
文章を読むこと、文章を書くこと、
それに対して『向いている』という判断は、
ストレスを感じないとか、
好奇心が湧いてくるとか、
成果が出るとか、
深めたくなるとか、
主観的な材料で判断するモノで、
多くはポジティブな要素だと考えています。
そしてもう一つ、
自分自身に向いていることは、
他人が決めるという要素もあります。
あの人は、
人と関わる仕事に向いている、
文章を書くのに向いている、
人前に出るのに向いている、
その『向いている』判断は、
実績や成果を産んでいるとか、
本人や相手が楽しそうとか、
継続しているとか、
多くは第三者の主観で判断されたポジティブな要素であると思っています。
相手が感じる向き不向きと、自分が感じるもののギャップがないほうがイイ
このような前提に立ったとき、
ひとつ言えることは、
自分が思う向き不向きと、
他人が思う向き不向きは、
ギャップが無い方がいいということです。
実際に上司部下の関係であれば、
上司に振られた仕事が自分に向いていない。
そんな状況があるとしたら、上司と部下の認識が合っていた方が、つまりは適材適所で仕事の効率が上がりやすい。そんな状況も作り出せるわけです。
そもそも向き不向きなんてあるのか
ただこれは狭義での向き不向き論だと思っていて、極論、向き不向きは経験とモチベーションの量の違いだと思っています。
より多く経験したものは、そうで無いものより向いている可能性は高いですし、結果を出すツールとしては有効に働く可能性が高い。
逆に言えば、経験してなくてモチベーションが低いツールは有効に働かない可能性が高い。
であれば、向き不向きは、ただ単に『それを今までたくさんやってきたから』と『それをやりたいから』の組み合わせで、それと目の前の課題が結びついた時に【向き不向き】というのだと考えています。
しかしそもそも仕事とは、与えられた課題に対して成果を出す、もしくは問題解決をする事だと思っていて、それと自分の向いている事ややりたい事とは結びつかないからです。
運良くむすびついたときに、この仕事は私に向いていると思うかもしれませんが、運が良かったのです。
それはいわゆる『仕事を選んでいる』状況であり、極々一部の天才に与えられた仕事の仕方に過ぎないからです。
今回は『【向き不向き】の認識は自分と他者であっていた方がイイ理由〜そもそも向き不向きとは〜』について書かせていただきました^ ^
それでは、またあした😊